必要に迫られてメンタルセルフケア本を読み散らすうち、この分野にぼちぼち詳しくなってしまっている自分に気づいた。せっかくなので皆さまに関連知識をおすそ分けする。第三世代の認知行動療法である、マインドフルネス、スキーマ療法、ACTの違いと共通点について。
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おすすめは第三世代の認知行動療法(CBT)
メンタルケア系の本を読み散らかしてきた私のごく個人的な経験上、メンタルセルフケアとしておすすめしたいのは「第三世代の認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy:CBT)」と呼ばれるジャンルのものだ。
認知行動療法についてのWikipediaでの説明は以下だ。
不適切な反応の原因である、思考の論理上の誤りに修正を加えることを目的としており、認知、感情、行動は密接に関係しているとされる[1]。従来の精神分析における無意識とは異なり、観察可能な意識的な思考に焦点があり、ゆえに測定可能であり、多くの調査研究が実施されてきた[3]。
「第三世代の認知行動療法」について、他サイトさまにわかりやすい説明があったので引用しておく。
●第一世代:1950年代~
「行動療法」から発展した認知行動療法。
⇒不安階層表やソーシャルスキルトレーニング(SST)など●第二世代:1970年代~
「認知療法」から発展した認知行動療法
⇒認知再構成法など●第三世代:2000年頃~
認知行動療法の新しい流れ
第三世代の主な援助技法
⇒マインドフルネス認知療法:再発性うつ病の治療に特化した治療法
⇒弁証法的行動療法:境界性パーソナリティ障害に特化した治療法
⇒アクセプタンス&コミットメント・セラピー
⇒認知的脱フュージョン:ACT
私の理解では以下のことが言える。
・認知行動療法は、フロイト・ユングの系統である「無意識」を扱うものとはまた別の新しい系統の心理療法である
・そのうち2000年代ごろから活発になった最も新しい療法が「第三世代の認知行動療法」である
私が推したい「第三世代の認知行動療法」は以下の3つだ。
・マインドフルネス認知療法
・スキーマ療法
・ACT(Acceptance & Commitment Therapy)
構造的にはマインドフルネス認知療法が先にあり、それをベースにACTやスキーマ療法が発展してきたということのようだ。この3つは相互に似通っていて、用いるテクニックにも共通したものが多くある。
マインドフルネス/スキーマ療法/ACTの共通点と違い、特徴
共通点
マインドフルネス、スキーマ療法、ACTの共通点は
「いま・ここを生きる」
というところだ。どれもごく簡単に言うと、「思考(認知)」と「行動」を区別し、相互に切り離せるものとして考える。そして、「行動」をコントロールするために、「自分の思考をあるがまま観察する」ことに重点を置く。
思考(認知)と行動について軽く説明しておく。
思考(認知):たとえば「私は皆に嫌われバカにされる」という自動思考
行動:たとえば「思考の言うまま、誰とも交流しないことを選択する」という行動
「私は皆に嫌われバカにされる = 私は誰とも交流しない」という文の、ついイコールでつなげがちな部分を意識的に切り離すのが、これら3つの認知行動療法だといえるかもしれない。
これらの認知行動療法は、「私は皆に嫌われバカにされる」と思考しつつも同時に「でも誰かと交流する」という行動を選ぶ、ということを可能にし、QOLや生きやすさを向上してくれる。
違いと特徴
マインドフルネス
宗教でないことを謳ってはいるが、源流である仏教や禅、ヨーガといったような東洋思想の影響が色濃く残っている。たくさんの瞑想的なイメージワークが存在する。
マインドフルネス的な思考の処理のしかたはたとえばこんな感じだ。
「私は皆に嫌われバカにされるんだ」
→「私は、『自分は皆に嫌われバカにされる』ということを考えているなあ」
→「自分がそう考えているということをあるがまま観察してみよう、どんな感じかな
→「そうかそうか、胸が苦しくなって手足が冷たくなって、なるほど…」
→「あれっ? なんだか少し落ち着いてきたな。そうだ、この落ち着いてきた感じもあるがまま観察してみよう。感じる気持ちをぜんぶ空の雲に載せよう。ああ、どれも自然に流れ去っていくなあ… そうか、気持ちって流れていくんだな。… と思ったこの気持ちも雲に載せよう」
→結果的に落ち着く
→実践の積み重ねで生きやすくなる
マインドフルネスについてはこちらの記事に詳細をまとめている。
スキーマ療法
自動思考を規定しており、過去は役に立ったものの今は役には立たない人生上のネガティブな価値観(たとえば自分は一生孤独で幸せになれないとか)といったものを「(不適応的)スキーマ」と呼ぶ。これをマインドフルネス的なテクニックを用いて「つかまえ、受容し、結果的に手放」していく。代わりにポジティブな「ハッピースキーマ」を構築し、日々の中で実践していくことでスキーマを塗り替え、生きづらさを改善していく。
スキーマを発見していく過程で、スキーマのもととなった人生経験を整理する作業があり、こういった方法はトラウマケア系の心理療法と似たところがある。
スキーマ療法的な思考の処理のしかたはたとえばこんな感じだ。
「私は皆に嫌われバカにされるんだ」
→「私は、『自分は皆に嫌われバカにされる』ということを考えているなあ(マインドフルネス)」
→「あっ、これはスキーマモードに入っているな」
→「スキーマは昔は役に立ったけどいまは必要ないはずのものだったよなあ」
→「そうか、こうこうこういう刺激がスイッチになってスキーマモードに入ったんだな」→「あっ、なんだか落ち着いてきたぞ。落ち着いてきた感覚を観察してみよう(マインドフルネス)」
→さらに落ち着く
→「そうか、今の私にはこんなふうにストレスに対してやれることがあるんだ」
→「そう、つらいこともあったけど今の私にはこんなにいろいろな資源があるんだよね
→実践の積み重ねで生きやすくなる
日本のスキーマ療法の第一人者、伊藤絵美先生のこちらのワークブック(前編後編の2冊構成)はものすごくおすすめだ。私の中ではここ10年ぐらいでイチオシのセルフケア本。内容が具体的かつ丁寧でわかりやすいだけでなく、温かく優しく語りかけるような文体。読むだけで癒されるような名著だ。私はこの本をしっかりやり終えて初めて、本来の意味でのアサーションができるようになった。カウンセリングやセルフケアなどいろいろ試みてみたけどイマイチ生きづらさの解消ができずに行き詰まりを感じているという人は、ぜひ手にとってみてほしい。
ACT
マインドフルネスからより宗教的要素を除き、システマティックなテクニックに洗練させたもの。マインドフルネス的なテクニックでネガティブな考えを「つかまえ、受容し、結果的に手放」したあとで、自らの人生の価値(人生において最も大事にしているもの、たとえば愛の実現とか健康の維持とか)にとって「より効果的な行動」に出ることを重視する。
ACTでは、「思考はまったくコントロールできないが、行動はコントロールできる」という立場をとる。3つの認知行動療法はどれも「思考をあるがままにしながら行動を変える」ことを重視するが、その中でもACTはもっとも思考のコントロールをせず、行動の変容を重視するタイプの療法だ。
思考の一部をほかの価値観で塗り替えることである程度コントロールしようとする、その他の心理療法(たとえば宗教、アファメーションなど)に対しては「短期的には多少効果があっても長期的には状況を悪化させる」とし、やや否定的な立場をとっている。
ACT的な思考の処理のしかたはたとえばこんな感じだ。
「私は皆に嫌われバカにされるんだ」
→「ああ、また頭の中でいつもの『私はダメ人間ショー』の放送が始まったな(マインドフルネス)」
→「このショーが流れるのを止めることはできないけど、私の人生の価値の実現のためにはこいつの言うことを信じるわけにはいかない。こいつと距離をとるテクニックをいろいろ練習したぞ」
→「ショーを小さなテレビの中に入れて派手な字幕をつけるイメージをしてみよう(マインドフルネス)」
→「あれ? なんかさっきより深刻な気分じゃないな」
→「そうだ、お昼を作ろうとしてたとこだったんだ。もうひとつやってみよう。きゅうりを刻む感覚を五感で最大限に味わってみるんだ。ああ、いい香りだ。サクサクという音もいい(マインドフルネス)」
→「ああ、集中してるうちにヘルシーな昼ごはんができた。あいつは相変わらず不快だが、つかまってしまわずにすべきことができたぞ」
→結果的に落ち着く
→実践の積み重ねで生きやすくなる
ACTについてわかりやすい本はこちら。私は普段は理屈っぽいものの、実は多少宗教くさかったり、視覚的なイメージワークを多用するテクニックが好きだ。だからなのか私にはあまりピンとこなかったが、ACTのややドライでとことんシステマティックな方法論が合うという人もいるだろう。
一見「悪い」感情を積極的に受容するのがマインドフルネスのやりかた
私たちは生きているうちにさまざまな悪感情にさいなまれる。怒り、イライラ、不安、寂しさ、悲しみ、無気力などなど。
しかし、どんな関連本を読んでも書かれているのは、「感情というのはもともとは私たちの心身の健康を守るために生まれたものだ」という、感情の起源の話だ。詳細はまた別の機会に書くかもしれない。
言ってみれば感情は、神的な何かが、神という言葉が不適切ならば自然やDNAの不思議な力が、ヒトに与えたもうた生来の防衛システムなのだ。問題なのは、ヒトの生きる環境があまりに速く変化したため、システムのアップデートが間に合っていない、あるいは以前は出なかったバグが出るようになってしまった、という点のみだ。
未来や過去のことをやたらと考えすぎ、なんでもネガティブにネガティブにとらえる傾向はヒトの仕様である。そしてこの仕様は、周囲の環境を詳細に把握し、生命の危険を今までもこれからも回避するために組み込まれたものだったのだ。
つまり、感情は、たとえ一見「悪い」ものであっても根本的には我々の味方なのである。マインドフルネスの、もっといえば東洋思想を根本とする思想の考え方においては、基本的には彼らを「友」ととらえる。
悪感情をかけがえのない友として愛するワークブック「内なるデーモンを育む」
マインドフルネスの方法論をとても美しく表現したのが、「内なるデーモンを育む」という本だ。この本では悪感情を「デーモン」と呼んでキャラクター化し、詳細に描写するが、彼らを決して敵とはとらえない。むしろ、表面の悪感情の裏に自分をヘルシーに生き延びさせてくれるための大いなる知恵を抱いていると解釈し、彼らを存分に「もてなす」のだ。
エンプティ・チェアの応用のようなテクニックを使いながら、彼らの欲しがっているものを存分に与え、愛をもってもてなす。すると彼らの攻撃性は消え、代わりに「なかま(イマジナリー・フレンドと呼ばれるもの)」に変化する。そして私にとってとても感動的なのは、最終的には「私」も「なかま」も「空(くう)」の中に解け合い、最終的には空(くう)だけが残る、というイメージだ。
イメージの力、宗教的感覚の力、それらの大きさについてしみじみと体感させられるワークだった。自己治療においてもカウンセリングにおいても、私は自分の(おそらく人より高い)言語能力を存分に用いて頑張るが、そうすればするほど、単純な問題が複雑化し断片化し、かえって出口が見えなくなるような感覚がすることがときどきあった。この本はそんな袋小路から私を救い出してくれた。
豊かなイメージを使い、かつ、最終的には「すべてが空になる」というイメージは、まことに深い、ほかで体感できない癒しをくれた。私としては「スキーマ療法ワークブック」と同程度に激しくおすすめしたい。