発達障害の特性のため周囲の同年代の子どもから浮きまくっていた宇樹にとって、少女時代の唯一ともいえる友達は動物たちだった、という話。ぼっち自慢、こだわり爆発とともに宇樹の動物フォルダが火を噴く。
友達がいない
友達がいなかった。というか、いじめられていた。幼稚園からはじまり、小学校1年から6年までずっといじめられ通し。高学年になってくると、大人びてきた部活の後輩からさえ軽くいじめられる始末。
休み時間は孤独だった。私には複数人で遊ぶこと自体の意味がよくわからなかった。しかし、「みんなで楽しく遊びましょう!」という体の担任に促されるので、仕方なくどこかのグループに入れてもらおうとする。しかし、「えー?私はいいけどAちゃんに聞いて?」「私はいいけどBちゃんに聞いて?」とグループ全員の間をたらいまわしにされ、結局排除されるのだった。そもそも、そうして苦労してグループに入っても大して自分の興味を刺激するような遊びが展開するわけでもなく、特性上苦痛なことも多かった。クラスメイトと接触すること自体が傷つき損のような感じになった。
そんなわけで、私が休み時間をつぶすのはたいてい読書。しかし、そうしていると担任から「外に出て元気に楽しく遊びましょう!」と声がかかる。しぶしぶ出るのが中庭にある動物小屋だった。
動物はいいぞ
動物はいいぞ。言葉をしゃべらないから誤解もないし、みそっかすの人間にも平等に接してくれるからね。
鳥小屋にはニワトリとセキセイインコがいた。そこに野生のスズメが紛れ込んできて、セキセイと餌の取り合いの喧嘩をしたりしていた。ウサギ小屋には、毎年ほわほわの綿毛みたいな子ウサギが生まれた。廊下にはところどころ、金魚やメダカのいる水槽があった。
私はこういったところを訪れては、餌をやったり、無言でからかったり、鳴き真似や動作の真似をしてみたり、じーーーーーーっと見つめあったりしていた。
校庭のすみっこなどにあるアリの巣や、ダンゴムシの集団、花壇の花やそこにいる小さな虫やトカゲなど、虫も含めた物言わぬ生き物全般が私の興味と情熱の対象だった。放課後や休みの日などは公園に立ち寄り、2時間でも3時間でも、アリの巣穴や行列をじーーーーーーーっと観察して楽しんでいた。
動物や生き物のすばらしいところは、造形が多様で美しいこと、行動が想像力を存分にかきたて世界の成り立ちや真理についての示唆をくれるところ、こちらが働きかければ彼らなりのレスポンスを返してくれるところだ。
造形の美しさ。哺乳類の毛並みや瞳の輝きもいいが、とくに私が惹かれるのは鳥の羽根の幾何学的な造形だ。実家でも小鳥をいろいろ飼ったが、彼らが太陽の光を浴びながら毛づくろいするのを、一部始終ずっと、ため息をつきながら見ていた。神さまはなんて精緻なものをお作りになったのだろうと、見るたびに感激するのだ。飼っていた小鳥のうちオカメインコについては、換羽が始まるとすべての羽根を丁寧に集め、全身を再現しようとしたり、黄色の冠羽を集めてペンダントに仕立てたりした。文鳥は特に、「もっちり」「つるり」と言われるあのなめらで艶やかな表面の質感が素晴らしい。並文鳥の全身の渋い配色と、嘴の色の上品なグラデーションも。
それぞれの種に特有の造形の違いも興味の対象だったし、のちには、巻き貝の渦巻きを含めたこの世のすべての渦巻きはたった一つの計算式で表されるなどという話にも魅了された。南国に行くほど色鮮やかな生き物が増えることにも。
行動やレスポンスは、たとえばアリが触角を使って仲間と交流している様子、行列の近辺に水をたらしたりするとワッと慌てた様子を見せること。ミツバチが8の字のダンスを踊ること。トカゲや魚でも、こちらが見つめればいくらでもじーーっと見つめ返してくること。ニワトリが嘴を閉じたまま、喉の奥でコォーーーーーーと小さく鳴き続けること、私のあとをついてくるニワトリが、いつもある地点まで来るとピタッと立ち止まって引き返していくこと。ひよこを両の手のひらでそっと温めているとだんだん鳴き声が小さくなってきてそのうち眠ってしまうこと。
オカメインコは怒ると目を三角にして必死につついてきたり、左右にゆらーゆらーと揺れながら威嚇してくるけどまったく怖くないばかりか可愛くてたまらないこと。文鳥は指に止まらせてもう一本の指を差し出すと必ずそっちに乗ってきて、それをいつまでもいつまでも繰り返してエンドレス階段上りみたいになること。小鳥を指に止まらせてゆっくり指を上下すると、小鳥が上下に伸びたり縮んだりすること。ハトが歩くときに必ず頭を前後に振ること。小鳥の伸びがいつも手順が決まっていてシステマティックなこと。猫と犬の性質が大きく違うこと。
哺乳類は原産地によって毛の密度が違うこと。ラクダの群れは常に太陽に向かって同じ方向にきっちり整列して座ること。キリンは首だけでなく舌も長いこと。ハシビロコウは意外とよく動くこと。ナマケモノの動きがあまりに遅いために身体にコケが生えること。コアラが有毒のユーカリの葉を食べて生きられること。
宇樹お気に入りのAV(アニマルビデオ)
以下、宇樹お気に入りのAV(アニマルビデオ)を紹介したい。
オカメインコ竹千代くんの縦ノリダンス。ぽいぽぽぴー♪ っぽっぽっぽっぽタケチヨ! なんと上手なのか! このちょっとジュリアナっぽい曲調を選んだ飼い主さんのセンスにも脱帽。竹千代くんはオカメにしてはとても舌のまわる子で、ほかの動画でもかなり明瞭な発音で喋っているので見てみてほしい。
セキセイインコが超スロー再生でこちらに走ってくるだけの動画。左右に上体を揺らしながらガニ股でトテトテと走ってくる様子が思う存分堪能できる。私はこれを見るたびいつもウフフフフと声を出して笑ってしまう。
猫好きのネットユーザーなら一度は見たことがあるであろう、たわしねこ。まんまるのスコティッシュフォールドの子猫だ。動作のたどたどしさ、まだロクに見えてなさそうな真っ黒な瞳が可愛すぎて、頬から下全身が溶け落ちそうになる。
歌って踊るオカメインコ。ばちょぺーばちょぺーばちょぺー♪ 一時期、これを自分のうちのオカメに見せて踊らせている動画を撮るのが世界的に流行った。「この動画を見ながら踊るうちのオカメ」「この動画を見ながら踊るうちのオカメの動画を見ながら踊るうちのオカメ」「この動画を見ながら踊るうちのオカメの動画を見ながら踊るうちのオカメの動画を見ながら踊るうちのオカメ…」と、最終的にはYouTubeの画面が5連ほど連なるような動画まで出てきて、それはそれは面白かった。
踊るオウムとして一時期話題になったフロスティーちゃん。ほんとにファンキーな踊りが得意。Shake Your Tailfeather に合わせて踊ってるのがいちばん上手だったんだけど、権利の関係なのか現在見れなくなっている。ブギーなヘッドバンキングや裏拍の横ノリを堪能してほしい。
ヨウムのアレックスくん。ヨウムは特におしゃべりが上手なことで有名だが、アレックスはオウム返しではなく本当に「会話」することが可能な稀有な個体だった。飼い主で研究者のペッパーバーグ氏と、ものの色や形、素材を見分ける練習をしていた。残念ながらヨウムにしては夭折してしまった。私は高校ぐらいにテレビでこの子を見て魅了された。練習をさぼるもんだから先生が怒って帰ってしまうと、「ごめんね」「アレックスはいい子ね」「愛してるよ」など一人でぶつぶつ言っていて、泣けてしまったのだった。
もうちょっと普通のヨウム、アインシュタインちゃん。この子は決められた内容しかしゃべらないが、十分すごい。
以上、かなり鳥モノに偏ってしまったがとりあえずここで終わる。もっとAV(アニマルビデオ)が欲しい人は、主人公の動物の種類など条件を記して @decinormal1 まで。
ツンデレからヤンデレへ
自分が動物好きであることを自覚したのは大学のときだった。友人から、「義子って動物大好きだよね。ほっとくと動物の話しだすもんね」と言われたとき。
まったく自覚がなかったので盛大に動揺した。そのときは自分の中の優しげな感情のようなものにものすごく抵抗があったので(周囲から「冷たい子」みたいに評されて育っていたからかもしれない)、「べ、別に! 非常に興味深い存在だとは思ってるけど!」とツンデレで応じてしまった。
素直になった今はヤンデレだ。ときどき動物に囲まれている夢を見て起きたり(ちなみに風味としては完全に悪夢)、あまりの猫飼いたさに部屋の中にふっと猫の幻影を見るほど病んでいる(現在の居所ではペット禁止)。
いつかいろいろな動物に囲まれた暮らしをしてみたい。それが私の中でいま、けっこう大きな夢だ。
できれば人とも友達になりたい
オットと暮らし始めてから、生まれて初めて「人と接する」ということをしはじめたような気がする。相変わらずすごく苦手だが、それでも人が複数人実際に集まってわいわいすることの意味は少しずつわかってきたし、楽しめるときも増えてきた。
相変わらず動物は好きだし、人間は苦手だけれど、それでも私なりに少しずつ少しずつ、人間界に馴染んでいっているのだ。もはや30代半ばだけれど。少しでも楽に、少しでも成熟した人間になっていきたい。