発達障害関連や心理関連の棚で本を手にとった瞬間に、「発達障害が治る」という手かざし系のヒーリングの勧誘をしてくる人がいる。全国的に行われていることかはわからないが、こういうことがあるということをまとめておきたい。後半に対処法や注意点も書いている。
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本屋の発達障害関連の棚で声をかけられる
発達障害関連の本を手にとった瞬間の声かけ
先日、大きな本屋の健康関連の棚の前にいて、発達障害関連の本を手にとって開いたら、その途端に中年女性に声をかけられた。
若く見える60代という感じか。上品でお金のありそうないでたちで、いかにも真面目で素直で熱心そうな感じ。
「失礼ですが、あなたか周囲にこういう方がいらっしゃるんですか?」
いかにも個人的に私に興味を持ったかの風情で、どちらかというと本人が困っていて情報や仲間を求めてるかのようなトーンだったので、私はどちらかというと親切心でこう答えた。
「私自身がそうです」
すると彼女は、立て板に水といった感じで話し始めた。
「手かざしで薬に頼らずに発達障害が治った!」
「実は、薬に頼らずに治せる方法があるんです。うちの息子も発達障害だったんだけれど、この○○パワーで治ったんですよ! 特に女性の場合は薬を飲んでいると妊娠出産のときに心配ですし、薬を飲まないで治るならそのほうがいいですよね?」
「そうですか、そういう方がいらっしゃるのは否定しませんし、それはそれで素晴らしいことです。たまたま成長に従ってうまく発達なさったとかそういうことじゃないですかね。ただ私は発達障害は一生コントロールしていくものと思っています。私の飲んでいる薬は幸い妊娠出産にも影響ないことがわかっていますし、私は服薬でとても良くなって、元気に働けるようになったので現状で満足しています」
「あらー! それはよかったわねー!(満面の笑み) で、あなたはどこか痛いところとか苦しいところとかないかしら? (私の背中のあたりで手をフワフワと泳がせ始める) 一度ヒーリングを体感してもらえればわかってもらえると思うんだけど…」
「いや私いま本当に元気で、どこも痛いとこないし、人生でいちばん調子いいので…」
「そう、体感してもらえればわかってもらえると思うんだけど…(すごく残念そう)」
鞄にいっぱいの配布用資料
「専門の脳神経の先生が太鼓判を押してらっしゃるヒーリングで、今度近くに講演にいらっしゃるのよ! なかなかない機会なので、もしご興味おありならぜひいらして?
(施術所の場所や連絡先などが書かれたプリントを渡される。鞄の中を見ると同じプリントや使い込んだようなパンフレットがたくさん鞄に入っていた)」
私はここで、「ああ、この人はこの本屋で習慣的・計画的かつ熱心に勧誘をしてるんだ。関連の本を手に取る人≒困っていそうな・興味のありそうな人を見つけたらすかさず声をかけるという考え抜いたマーケティングをしてるんだ」と悟った。偶然にも個人的に私に興味を持って声をかけてきた人なら、こんなふうに配布用の資料をたくさん持ち歩いたりしていないはずだ。
私はこの時点で絶対にこれは記事に書いてやろうと思い、その「専門の脳神経の先生」が「まとも」であるわずかな可能性をあえて否定しないまま、その女性からキーワードを聞き出せるだけ聞き出そうと思った。あとで検索して検証するためだ。
「○○先生、○○パワー、○○クリニックですね? あとで私の側で調べてみます」
服薬の良し悪しの話には量の問題を語ることが不可欠であること、医師であってもトンデモない人はときにいること、プラセボの効果の大きさ、成長や訓練、学習による発達障害の諸症状の軽減のことなどは語ろうと思えばいくらでも語れた。しかし、話のトーンや習慣的・計画的に不特定多数に対して勧誘を行っているという事実から、ちょっとやそっとではその信念を崩せないだろう、崩せたとしてもその先のケアは私には荷が大きすぎると考えてあえてつっこまなかった。
いいかげん話が長引いていて疲れてきたし、早く手元の本に集中したいのもあった。彼女は、この○○パワーを信じたいから信じているのであって、それを信じる以外に彼女にとっての救いが存在しないからこれほどに熱心に勧誘をしているのだ。
捨て台詞「お大事に」
私は話の中で、「私はいま自分のやりたい仕事ができていて、家事も趣味も両立できていて、本当に元気で幸せです」と三度か四度は言ったと思う。しかもこれは強がりでもなんでもなく本当のことだ。しかし、彼女が去り際に言ったのはこんな言葉だった。
「お大事に」。憐れむような温かい目に微笑を伴って。
このときばかりはムラムラと腹が立った。私本人がいくら幸せだと主張しようが、薬を飲んでいる時点で、現在進行形で障害者であるというだけで、彼女にとって私は「憐れむべき可哀想な人」なのだ。私は自分の障害はぼちぼち受け入れているつもりだが、こういうときには「同じ当事者からさえこんな失礼な目に遭うんだから精神障害者であるということはつらいなあ」と思ってしまう。
「自分の息子はもう障害者ではない」と信じることで彼女が救われるのならそれ自体は素晴らしいことだ。けれど、彼女の息子さんは実際にはどんな気分で彼女のもとで育ったのだろうか。本当に幸運にも(手かざしをするしないに関わらず)症状が軽減されていまは苦しまず生きているのか、それとも母親に気を遣って治ったことにしているのか。あるいは、そのどちらでもないのに、彼女の狂信的になった目にはその息子の現実の姿が映っていないのか。
いずれにしろ、彼女には「障害者である息子」という存在が受け入れられなかったのだろう。それって、その息子にとって幸せなことだろうか。母親本人にとっても本当に幸せなことなのだろうか。
私には、彼女やその息子さん、彼女に巻き込まれる周囲のすべての人のほうが「憐れむべき可哀想な人」に思えた。彼女のいまの熱心さは、彼女が息子さんの障害で苦しんだときに、「息子は治った、もう障害者ではない→ 発達障害は治る、薬は悪、勧誘は善」という信念にすがる以外に、彼女にとって救いとなる情報やつながりが存在しなかったことの動かぬ証拠にしか見えなかった。
人の幸せを他人がうんぬんするのは良くないとわかっていながら(まさに私が彼女からやられて嫌な思いをしたばかりだ)、やはり私はどうしても彼女やその周囲の人を憐れんでしまう。
店に通報できず
もともと音声会話の苦手な私は、知らない人と会話しただけでものすごく消耗する。それだけでなく今回は心理戦だったし、ムダに心を痛めたり腹を立てたりしたので私はすっかり静かなパニックを起こしてしまっていた。
女性が立ち去ってからまもなく、警備員が店を回っていたのに気づいたが、私はその警備員に声をかけることができず、震えながらその場を立ち去った。私にとって、パニックを起こしながら他人に話しかけることは明らかにキャパ超えだった。
自分がパニックを起こしていたことに気づいたのも翌日ぐらいになって落ち着いてからで、それまでは「なんで私は警備員に声をかけるぐらいのことができなかったんだろう」と自分を責めていた。私は本当に動揺していたらしい。
「専門の脳神経の先生」は怪しさ満載だった
帰宅して鬼のようにググってみると、○○パワーを推している医者というのは確かに医者だったが、その医者のクリニックやブログは私からしてみれば怪しさ満載だった。
・ほかで見たことも聞いたこともないような検査機器で「脳の偏りを検出する」とか書いてある
→こういう標準的でない検査機器でエビデンスの曖昧なものを検出して(高額な)代替医療を提供する、というビジネスモデルは、アメリカのエイメン氏のクリニックでも行われており、批判を受けている。詳細はこちら。
・西洋医学の限界を感じていたときに自分自身がヒーリングを受けて世界が変わった、とか書いてある
→個人の実体験というのは科学の目で見たときは非常に危ういもの。詳細はこちら↓の本で
・その医師の師匠という○○パワーの提唱者の一人らしい人のブログは怪しさ5倍。ヒーリングで子宮内膜症や月経困難症が完治とか書いてある。
→これはもう本当にアウト。子宮内膜症は放置すると一部ががん化して、死に至ることもある。詳細はこちら
あと、患者や西洋医学を責めたり否定したりする強すぎる口調。
→詳細はこちら
後日:心理関連の棚で声をかけられる
2週間かそこらあとだったろうか。今度は心理系の棚で熱心に本を開いていたら、また同じ女性に声をかけられた。
「あの、もしかしてカウンセラーさんとかなさってるんですか?」
「いえ、ライターやってます。ていうか以前もお話しましたよね?」
私はここで、声に「俺はライターだぞゴルァお前のこと書いてやるからなゴルァ!」とか「2回も声かけてきやがってこのやろう!」というトーンを若干含ませたのだが、相手はひるまなかった。むしろ嬉しそうに
「そうですよね! で、まだヒーリングさせていただいてませんよね?」
ときた。
「必要ありませんから」
と答えると、「そうですか」と言って、どちらかというと逃げるようにサッと去っていった。前回長時間私を引き止めたのは、私がもしかすると良いカモになるかもと踏んでいたからなのだと感じた。そして経験上、必要ないと明言している人に食い下がっても良い結果にならない(客にならないばかりか通報されて捕まるとか)と把握しているので、あのような対応になったのだろう。
私は臨戦態勢だったので、むしろサッと引かれて若干寂しいような感じで、その背中に向かって何か捨て台詞を投げつけたい気持ちにかられた。
店員の対応
さすがにこのときは、わりと素早くレジの店員に報告した。それでも気を取り直すのに5分10分はかかったと思う。
「あー… 手かざし勧誘のおばさんですよね? お客様からもよく報告いただくのですが、次見かけたらすぐに教えてください、私どもも手を焼いてまして…」
「つまり、現行犯でないといけないということですかね?」
「そうですね… その場でないと私どももどうにもできなくて…」
しまった。あの女性はもう私をターゲットから外したからもう話しかけてはこないだろう。現行犯で捕まえるとしたら、誰か私以外の人をおとりに使う以外になさそうだ。
その後、同じ本屋の同じ棚の前でオットが、中年女性が客に話しかけて電話番号がどうの言っているところを見かけたそうだ。「お前の言っていた女性だろうと思ったけど、ちょうど時間がなかったので手が出せなかった」と悔やんでいた。
どうか気をつけて
精神疾患や精神障害、心の悩み、病気といったことに関連した棚にいる人に声をかけてヒーリングに勧誘するというのは、ずいぶんと頭のよいマーケティングだと正直感心した。まるで、閲覧者の検索履歴にもとづいて表示される追従型広告のようだ。敵もさるものといったところだ。
しかし、感心している場合ではない。どうか皆さんも気をつけてほしい。私はつい熱くなっていろいろ話してしまったが、こういう人を逆に説得しようと思ったり、興味本位でいろいろ聞き出したり話したりすると引きずり込まれたり、個人情報を悪用されたりするリスクがある。
私はいつかなんとかして捕まえたいと思っているが、本当はこういった態度もおすすめしない。フォロワーさんからのご指摘で気づいたが、彼らが欲しいのは客だけでなく、勧誘のときにどういう人にどういうアプローチをしたら話を聞いてもらえるか・説得できるかという情報や、どういう人が客層になりうるかという情報だったりもするかもしれない。
もしかすると、彼らは声をかけて話したあとで、Twitterでキーワード検索してアカウントを特定するような作業もやっているかもしれない。私はそれを想定して、投稿するタイミングや使うキーワードなどに多少のフェイクを入れている。私のように注意喚起のためにTwitterなどに投稿しようというときには、相手方から特定されないように最新の注意を払ってほしい。