AbemaPrime「精神障害者と就労」まとめと感想 #アベプラ 【わかり手さん出演】

この記事の所要時間: 620

2018年から精神障害者の雇用が義務化される。この動きを受けて、「メンヘラ.jp」というメディアの編集長である「わかり手」さんが2017年5月1日、テレビ出演した。ネットTVのAbemaPrimeで放映された「精神障害者と就労」という特集である。Twitterでの実況まとめと、個人的な感想を記しておきたい。

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AbemaPrime「精神障害者と就労」まとめ

宇樹が実況していた当時のTLを以下にまとめてある。おっと思ったわかり手さんの発言などはなるべく書き取ってあるので、見逃した人は読んでみてほしい。

※すべての発言を網羅できているわけではないのであしからず。

AbemaPrime「精神障害者と就労」を見た感想

たかが一歩、されど一歩

わかり手さんも同じようなことを以下の記事でおっしゃっていたが、世間からの精神障害者への理解は本当にまだまだ。けれど、だからこそ今回の出演は大きな一歩だった、と私も思う。

「精神障害と就労」についてテレビで話してきて思ったこと

出演者のひとりから「精神障害って一生治らないものなんですか?」という質問が飛んだときには、正直すごくイラッとしてしまった。

精神障害の当事者としては、精神障害にもいろいろあって、先天的で治癒が不可能なものと、後天的で寛解や治癒が可能なものがあるということは当たり前の中の当たり前といった感じの知識だ。わかり手さんは記事中で「ベテランのメンヘラ」という表現をなさっていたが、そう、私もベテランのメンヘラだから、「一般の人はこんなところですでに引っかかる」ということを突きつけられて、けっこうなショックだった。

けれど、私たちは外国人が日本列島の位置を間違えたり、東京の位置を間違えたり、日本の首都を間違えたりすることを笑うけれども、たとえばウガンダの位置や首都やその位置を訊かれたら、正しく答えられる人はかなり少ないだろう。当事者でないというのは、基本的にそういうことなのだ。

私は自分の反射的な苛立ちをなんとか落ち着けると、「こうして興味を持って質問してくれる人がいて、その質問が成り立つ場が用意されただけ大変にありがたいことだ」と思い直した。ここで私たちがキレていては、たぶん誰も幸せにならない。

多くの人に理解されるには、多くの人の目にさらされる弊害を背負うことも必要

私が放送を見ていてほかに苛立ったのは、話を変な形で混ぜっかえすコメンテーターさんがいたことだ。うまく表現できないのだが、周囲と少し違ったラディカルなこと、またはいいことを言おうとして、少し的はずれな指摘をするような感じだ。しかもそれを幾度も繰り返す。

わかり手さんはそういった指摘にも激昂せず、経験とデータにもとづいて丁寧に隙のない反論をなさっていて、私は本当に彼を尊敬した。すべての当事者やその周囲の人があのような対応をできるとは思わない。

私はその混ぜっかえしを繰り返すコメンテーターさんにかなり腹が立ってしまった。当事者の現状をよくしようという意図ではなく、ここで自分がうまく目立とうという意図で、その場のテーマを消費しているようにも見えたからだ。

けれどよく考えてみると、こういったことはなにも今回だけではなく、「世の中からいまだ注目・理解されていない問題についてこれから注目・理解してもらおうとするとき」のすべてに構造的に起こりうる現象なのではとも考えられた。

たとえば保育の問題なんかも、現在いろいろな人がいろいろな意図で消費的に言及する流れがあるが、まだこのように注目され話題にされるようになっただけ前進したと表現することもできるだろう。

マイナーだった何かが多くの人から注目されるには、まずそれが彼らの目にさらされなければならない。その時点では、その話題に単なる好奇心や野次馬心で関わってくる人もいるだろうし、その話題性に乗っかって、功名心などのなんらかの自己の利益を満たそうとする人もいるだろう。当事者どまんなかである私自身にだって正直いえば、「私もこの機に当事者としてなんかちょっといいことを言って目立ってやろう」という気持ちがあるのだ。このような気持ちは、当事者でなければなおさら持ってしまいがちなものだろう。

これらは決してベストなできごととはいえない。しかしこうした雑音は、新しいものを理解してもらうまでのプロセスのひとつとして、どうしても逃れられないものでもあると思う。大事なのは、こういうプロセスに直面したとき、当事者やその周囲の人がいかにキレずに「少なくとも興味を持ってくれている」という感謝とともに根気よく説明を続けられるかなのではないだろうか。

※もちろん、どんなことをされてもニコニコ受け入れろという意味ではない。ただ、やみくもに互いを敵認定することはできるかぎり避けたいよねということを言っている。

だって、マザー・テレサも言っていたように、愛の反対は無関心なのだから。認知・理解してもらいたいマイノリティにとって、(たとえそれが下世話なものであっても)興味を持ってもらえないことがいちばん怖いと私は思う。

わかり手さんに感謝

わかり手さん(本名・小山晃弘さん)の緊張は画面を通しても伝わってきて、私までドキドキ冷や汗をかいたりしてしまった。しかし彼は本当によく頑張ってくれたと思う。当事者であり、テレビ初出演でありながら、あのように常に冷静さを失わず、データと経験に基いてしっかりと言うべきことを言ってくれた。

あのような対応はすべての人ができるようなものではない。音声会話も、時間に追われることも激しく苦手な私だったらまず、フリーズするかキレるか泣くかしていたような気がする。

わかり手さんには深い感謝と尊敬を覚える。彼は今回の出演でその熱意と取材の蓄積の痕跡をズシッと重みのある形で人々の間に残し、精神障害者界隈での信頼できる発信者として揺るぎない盤石を築いたと思う。これからこういった形での活動が増えていくだろうが、個人的には心から応援していきたい。

最後に宣伝

「精神障害者には福祉で金を与えておけばそれでいいというわけではない。働くということは人間にとって非常に重要なもので、欠かすことができない」というようなことをわかり手さんはおっしゃった。

私もまったく同じようなことを思う。現在の社会構造上、精神障害者が働いて食っていくというのはまだまだとても難しいことだが(なんせいわゆる健常者だって食うや食わずなのだ)、私はともかく働きたいのだ。手段や情報があるかぎり、私はどこまでもチャレンジしていきたいと思っている。

というわけで、最後にこのテーマを掘り下げた拙記事を紹介させていただく。

精神障害のある私が、それでも働く理由 | 凸凹ナビ

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2017 Yoshiko Soraki
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