「自分の世話をする」ということ

この記事の所要時間: 1147

自己肯定感の低かった私が、「自分の世話をする」ということを初めて覚えるまでの話。

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何かが足りない、でも何が足りないの?

私は、5年ほど前に心身ボロボロの状態で実家の環境を逃れ、夫と暮らすようになった。

ここは安全らしい、少なくとも夫は私に加害してこないらしい、安心して自分に向き合っていいらしい、とぼんやり理解できるまでにおよそ半年かかった。この間のことはロクに記憶もない。聞けば、ほぼ寝たきりの私を夫が献身的に世話してくれていたらしい。

こうして生傷がようやく癒えて以降はずっと今まで何年も、まるで時折疼く古傷を庇いながらおそるおそる歩く生還者のように生きてきた。

古傷の疼く日々

この過程で最もたくさんやってきたことが、自分について徹底的に分析することだった。自分を分析して分析してどんどん細かくして、その断片それぞれについての答えを探していけば… あるいは、自分がなんの類型のどこに属する存在なのかということを見極めていけば… いつか「私についての答え」が出ると思い込んでいるようなところがあった。

次にたくさんやってきたことは、「休む」ことだった。私はすぐに心身ともに疲労困憊してしまう。体力気力は限りなくゼロに近くなっていく。だから、ともかく寝た。そんな調子のときは寝れば悪夢にさいなまれ、目が覚めれば悪夢の残滓に打ちのめされて布団から出る気力も出ない。それでも、そんなふうにして徹底的に休んでいけば、いつか何かが変わっていくのではないかと思っていた。

この間に、私は何度も何度も、誰かが自分に向かって「拳を振り上げる」幻影にさいなまれた。私に向けられたその手はおおかたの場合は慰撫や抱擁の手であったにもかかわらず、私は疑心暗鬼になり、身を固くして威嚇した。夫には本当に申し訳ないことをしたと思っている。いくら噛みついても私を振り落とさずに堪えつづけてくれたことには感謝してもしきれない。

分析し、休むことが答えだったのか?

私は5年ほどの間、確かに私なりにゆっくりと歩みを進めてきたとは思う。けれど、その歩みはあまりにじりじりとして先が見えなかった。もし自分がこのような時間をあと10年20年生きるのであれば、いつか耐えきれなくなるのではないか、こんなことで本当にいいのだろうかと怖かった。

突然だが、「”隠れビッチ”やってました。」というコミックエッセイがある。

「あらいぴろよ」さんという人が、ACゆえの自己肯定感の低さから「男からチヤホヤされる」という麻薬に溺れ、脱出しようとあがき、最終的にちゃんとした愛と自己肯定感を得て回復していく話だ。1月に入ってから読んだ。

この本の中に、ぴろよさんが出産し子育てする中で改めて自分の闇に向き合わざるをえなくなる時期がある。ストレスから寝込んでろくに食べることも家事や子育てすることもできなくなり、思わずあてもなく遠くへ逃げてしまったときの、旦那との電話での会話が以下だ。

旦那:「いろんなことがいっぱいで大変だったでしょ ゆっくり休んで羽伸ばしておいでね」
ぴろよの脳内返答:「ゆっくり休むって… もう十分休んでるよ (いま私は)休んでるんじゃないよ …逃げてるんだよ」

私は実際のところ「逃げていた」わけではない。けれど、「もう十分休んでるよ」というぴろよさんの心の叫びはざっくりと私の胸に刺さった。

そう、私はもう十分休んでいる。これ以上休めないほど休んでいる。この方法は何かが間違っているとどこかで感じながら、けれど代わりに何をしたらいいのかが見えてこなくて、ずっとずっと休んでいたのだ。

トラウマを抱えた女たちのドラマから学んだこと

「私、コンプレックスの塊でどうしようもないんです」

2016年の年末から2017年の年頭にかけては、いろいろな気づきがやってきた時期だった。

かのムズキュンドラマ「逃げ恥」の最終回で、ずっと相手の平匡を「自己肯定感が低い」と分析する立場だった主人公のみくりは、ちょっとしたことから気持ちをこじらせて平匡にあたり、「私みたいなめんどくさい女とは別れたほうがいい」と言い放つ。お風呂場に閉じこもったり、「自己肯定感が低いのは私だった」と涙をこぼしたりする。これに対し平匡は、それでもいい、僕はあなたと一緒にいたいし、今までも一緒にいたし、今も一緒にいる、というメッセージを伝える。

上に紹介した「隠れビッチ」では、ぴろよさんがまるで自分の嫌うDVの父親そっくりに恋人にあたり、「これは愛じゃない」と恋人に指摘されて葛藤したあげく、こう言うシーンがある。

ねえ、三沢さん 私コンプレックスの塊で… どうしようもないんです 直す努力はしますけど… 別れますか?

恋人の三沢さんは、あなたが自分の弱さと前向きに戦うなら信じる、という返答をする。ぴろよさんはこれに対し頭の中でこうつぶやく。

私のダメな部分も知ってて選んでくれた この人にとって誇れる人間になりたい

そう、夫はこんなダメな私を知っていて、それでも私を選んで一緒にいてくれる。彼は私のことを投げ出さなかった。そのことをもっと毎日毎日覚えておかなければいけないのだと思った。

夫は私を精一杯大事にしてくれる。彼は全能の神などではなく、限界があることも頭ではわかっている。それでも私は承認や肯定にとことん飢えているから、彼から普段たゆみなく与えられている気遣いや助け手のことをすっかり忘れて、おかしな言動に出てしまうのだ。

しつこい「揺り戻し」を乗りこなすために

どうもACの回復や精神的成熟というのは、「これでやっと終わった、これでもうACも卒業だ」と思っても繰り返し繰り返し揺り戻しがくるものらしい。2016年の年末の旅行のあと疲れで寝込んで以来、「自分はポンコツだ、周囲(今となっては夫)から世話されるばかりのみそっかすだ」という思いに改めてさいなまれて、かなり落ち込んでしまった。

けれど、私はせっかく5年前に夫に助けられ、以来投げ出されることなくここまで生き延びることができたのだ。ここで再び荒れるわけにはいかない。どうにかしなければと思った。

「私、自己肯定感が低いんです」

逃げ恥のみくりも、あらいぴろよさんも、自己否定に陥ってしまうような過去のトラウマにさいなまれ、パートナーの支えの中でいろいろ葛藤しながらこれを乗り越えたのだとすれば、恐らく私も同じような行動をすればいいのだろうと思った。それはつまりきっと、自分のみっともないところを過不足なく素直に伝えること。そして交渉をすること。

そこで、こんなふうに夫に頼んだ。

「私、自己肯定感が低いの。自分でできるだけどうにかしようとしてるけど、どうしても限界がある。私の自己肯定感を上げる手伝いをしてほしい。ついては、できるだけ私を褒めてほしい」

「子どもみたいにね、仏教の言葉そのままの餓鬼(がき)みたいにね、承認の言葉に飢えてるの」

お前は世話されるにふさわしい人間だ

夫は静かな口調で、僕は神ではないから限界はあるけど、できるだけ褒めるようにする、という返答をしてくれた。そして、私が夫に助けられてから必死の努力でここまで立ち直り、仕事をしてそれなりに稼ぎさえしていることなどを、淡々とした、けれど温かい口調で褒めてくれた。

そうか、そんなふうに思ってくれてたのか、私バカだからわからなかった、ありがとう、ともじもじしながら会話を終えて眠り、翌日…

夫が突然、大きな花束をくれた。

真っ赤なバラがたくさん入ったとても華やかなもので、ひと目ですごく奮発したのだとわかった。

私は一瞬、ハンッ女のご機嫌とるには花束でもあげときゃいいなんて魂胆に… と自分の感情に抵抗しようとしたが、すぐに負けてボロボロ泣いた。あ゛り゛がどう゛〜あ゛り゛がどう゛〜と嗚咽しながら丁寧に水揚げをし、せっせと活けた。

バラは一本だけ、ドライにしようと逆さにして吊るした。夫は入籍の日にやっぱり真っ赤なバラのわさっとした花束をくれて、私はそれに感激して一本ドライにして、それを5年間ずっと大事に飾っているのだ。今回それの後継ができた。

綺麗な花束をもらうことが、どうしてこれほど嬉しいのか。まるで自分がバカみたいだ。花束なんて綺麗なだけで、なんの実用性もないのに。けれどたぶん、夫が「綺麗なだけでなんの実用性もない」、そんなものを私にくれるために時間を割き、お金をはたいてくれたこと、そういう行動を私のためにとろうという選択をしてくれたことが、私はこんなにも嬉しいのだった。

花束のことを、その美しさを思うたびに、夫から「お前はこんなに美しい花束を与えられるにふさわしい人間だ」と語りかけられているような気がする。

言葉と花束の両方で夫から承認を示してもらえたことで、私は初めて自分が、「余りあるような、恐縮するような、こそばゆいような世話でさえ与えられるにふさわしい人間」なのかもしれないと思えるようになった。

自分で自分に世話をする

私自身から私自身に「花束」を

翌日、昨日よりも大きく咲いてより華やかになった花束を見ていて、初めて気づいた。私にずっと足りていなかったのは、「自分で自分に『花束』を与える」ことだったのだ、と。

慣れない土地に移ってきてから、もともと出不精だったのがより出かけるのが億劫になった。この土地では車かバスが主な移動手段で、日中に自分で出かけるには苦手なバス(電車と違って遅延などのランダム要素が多く、乗るにあたって車掌とのコミュニケーションが必要)に乗るしかなかったからだ。

落ち込んで気力体力が落ちているときは今まで、「気晴らしに行きたいけどお金を使うのもなんだし疲れるし、どうせ私は一人では人生を楽しめないんだ」などと考えながら鬱々としていた。

けれど、私にはたぶん、自分を鼓舞するために「ムダに思えるもの、少しだけ勇気のいるもの、自分には余りあると思えるようなものに手間とお金を使う」ことが必要だったのだ。それが欠けていたのだ。

生まれて初めて「自分の世話」をした

この本には、「自分の世話をする方法」が155個も(!)書かれている。

「空を見上げる」とか「小鳥の声に耳をすます」とか「趣味のクラブに参加する」とか、些細でくだらなくて、ちょっとしゃらくさいような感じで、でもこういうことをちょいちょいやっていたら確かに毎日を生きるエネルギーがどんどん湧いて出てくるようになるだろうな、と思えるような項目が詰まっている。いま見返していたら、「自分に花束を贈る」という、私のイメージそのままの項目もあった。

そんなわけで、今日は時間があったので、わざわざバスに乗って近くのショッピングモールまで出かけることにした。その中には大きなゲームセンターがあるので、ちょっとクレーンゲームでもやってみようと思ったのだ。

今までの私だったら、絶対にこんな行動に出なかった。クレーンゲームなんかにお金を使うのはムダであり、業者にうまいこと騙されている愚かな行為であり、そんなムダで愚かなことを楽しもうとするのは甘えであり、そんな甘えのためにバス料金と時間と体力を使って出かけるのなど言語道断だと思っていた。けれど、もしかすると私は、そういう自分に対する日々の少しずつの過剰な縛りによって元気をなくしているのかもしれなかった。

結局、800円ぐらい使っただろうか。何も取れなかったが、ひとりで、それもゲーセンなんかで遊んでいてこれほど充実して楽しめたことは生まれて初めてだった。逆に言えば、私はお金を使って遊ぶ方法をついぞ知らなかったということかもしれない。こんなふうでは確かに、どんなことにお金を使おうが、気持ちのよいリフレッシュになどならなかったわけだ。思えばいつもいつも、罪悪感と疲れとともにお金を使っていた。

自分の中に眠っていた行動力

大満足して帰ってきて、「そうだ、こういうことを続ければいいのだ」と思いたち、ずっと「こんなこと私に続けられるはずがない、お金がもったいない」と思って敬遠していた、その商業施設の中のカルチャーセンターでやっているスクールのどれかを受講してみようと考えた。

フラダンス。これだ。身体を鍛えるためにはピラティスのほうがいいかもと一瞬迷ったが、世界観に憧れがあるのはフラダンスだからそっちにしよう。その中でも、日中の時間帯にバスで通える回を選ぼう。

調べ始めてから10分程度といった、私にしては驚異的な決断の早さで、パッとスクールに問い合わせの電話をかけていた(そもそも電話が苦手なのでしばらく受話器を持ってグズグズ迷うこともあるのだ)。

私は昨日より今日、自由になっていく

私は昨日より今日、行動的で、活力にあふれ、そして自由になっていく。

今まで思いもつかなかった、自分に「花束」を与えるということ。夫に助けてもらいながら、これからは自分で自分にどんどん、惜しみなく花束を与えていきたい。そしてより自由に、美しさを増した私を夫にお返しするのだ。…そしていつか、もし叶うならば、両親にこの美しさを見せつけて「仕返し」しよう。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2017 Yoshiko Soraki
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