「人間としてポンコツ」と自覚する発達障害者の私が、それでもなんとか生きていこうという決意を抱く理由についての記事。
「私だけうまくできない」悪夢を見る
お正月の、できれば嫌な夢など見たくない時期に、立て続けに悪夢を見た。
どこかに集合するか帰るかしなければならない。けれど道がわからない。どの電車に乗ればいいのかわからない。行先表示がよく見えないし、見えても理解できない。周囲を行き交う人たちは、みな自分の目的地に向かってキビキビと歩いていく。そこは大きな大きな駅で、あっという間にあちこちのホームから新しい電車が、次々にたくさんの人を乗せて発車していく。
気がつけば私は浴衣一枚で川の土手を歩いていて、やっぱりどこかに集合するか帰るかしなければならない。でも自分がどこにいるのかわからない。土手をどっちの方向に進めば正しい道なのかがわからない。あっちだった気がする。なんとなく見覚えのある道だ。でも自信がない。日暮れまで時間もない。周囲の人たちはやはりどんどん、迷いなく目的地に向かって散っていく。
私はまとわりつく浴衣の裾に足をもつれさせながら、片手で裾をたくしあげ、片手にiPhoneだけを持って土手の階段を駆け上がる。乱れる息を整えながら土手を見回すが、やっぱりわからない。必死にiPhoneの地図アプリを起動しようとするが、アプリがうまく動かない。手も震えて指先がうまく利かない。というか私はそもそもなぜこんなところにいるんだろう。寒いのになぜ浴衣一枚で、iPhone以外の荷物も持たずに川の土手なんかにいるんだろう…
こういう、「周囲の人が普通にできることがなぜか私だけできなくて、一人で心の中で四苦八苦している」という夢はときどき見る。見るたび、私の心の奥底にある、自分という人間についての漠然とした欠落感、周囲に対する劣等感をよく表している夢だなと思う。
ポンコツな私を隠して
最近また実感しているのだけど、私はつくづくポンコツな人間だ。
小さな頃から大学まで、お勉強の成績が常にトップクラスだった私は、普段は見かけ上、その栄誉に酔っていて傲慢だった。自分でも自分はそういった人間だと思っていた。けれど本当はずっとずっと、薄氷の上を歩くような気持ちにさいなまれていたということを、30を過ぎてようやく気づいた。
私は本当はポンコツだ。単にお勉強が得意なだけのポンコツ。周囲の皆が普通にできることを、私は普通にはできない。普段はそれをなんとか隠して、うまく取り繕って生きている。皆うまく騙されていてくれるけれど、誰かが本当のことに気づいたらどうしよう― そういう恐怖を抱えていた。
薄氷の上をそっと歩くような、背中にいつも氷を当てられているような、顔の見えない追手に追われていて見つかったら一巻の終わりのような、そんな気分でいつも、どこか息をヒュッと細くひそめながら生きてきた。
先日、「軽度の認知症の患者は限界までうまく取り繕い、自分の認知機能の低下を隠す」という話を聞いた。そう。私は彼らの気持ちがよくわかる気がする。誰だって、自分がポンコツであることなど、自分も含めてできるだけ誰にも気づかれたくないだろう。
私は走ることのできない車
私は心も身体もポンコツだ。すぐに思い詰めて食べられもせず眠れもせず集中もできない状態になってしまうし、疲れやすくて、出かけたら出かけた時間分寝ないと回復しない。
ずっと気づいていなかった。気づいていなかったけれども、私は自分のこのポンコツさのおかげで、「ポンコツでない人」たちが普通に経験してきたかもしれない人生経験の大半を通らずにきてしまったような気がする。
音楽が好きなのに、コンサートに行ったことは数えるほどしかない。映画もどちらかというと好きなのに、なぜか見る気にならない。映画館に行くなどというとなおさらだった。
演劇にもダンスにも興味があったのに、部活やサークルでそういった活動をすることもなかった。
旅行も、旅番組など見ているととても興味をひかれ、行きたくなる。なのに旅に行く習慣はなかったし、一人でというとなおさらだった。
発達障害に気づいてからは、こういった活動をする気になれなかったのにはいくつかの理由があったのだと理解できた。その活動が自分の五感にとって刺激が過剰であったこと。疲れやすいために日々の最低限の活動をするだけで精一杯で、余暇活動のための体力的余裕がとれなかったこと。孤独だったために、そういった活動の世界に誘ってくれるメンターのような存在にまみえなかったこと。
自分があまりにインドアな人生を送ってきた理由を理解し、そういうものだと納得はしたものの、喪失感はぬぐえない。自分のメンタルのバランスの悪さについても、発達障害由来の生来のものと、生育環境によるAC傾向、発達障害の発覚が遅れたという運の悪さなどが重なった結果だと、仕組みについては理解した。理解したものの、しょっちゅう医療費をかけてメンテナンスを入れなければならないことについて、ときどきとても嫌になってしまうのだ。
なんだろう、ほんとうにポンコツだ。ムダに高精度な危険センサーを搭載していて、馬力の足りないコンピュータで制御されているレーシングカーと言えばいいのだろうか。危険センサーがしょっちゅう大したことのない危険を察知してビービーとアラームを鳴らしたり、コンピュータが熱暴走したりしてほとんど走れない。繊細にして不器用な車。走り回らないぶん大事故は起こさないが、走らない、あちこち行けないという点で、そもそも車である意義が曖昧になってくるような車だ。
ポンコツな私を支えてくれるもの
そんなポンコツを支えてくれるのは、やっぱり私のことをポンコツと理解したうえで大事にしてくれる理解者なのだと思う。
車で言えば、車のくせに走れない車。人間でいえば、うまく生きられない人間。そんなポンコツの私に、走ることはこんなふうに楽しいんだよ、生きること、いろいろな経験をすることはこんなふうに楽しいんだよと、少しずつ見せてくれる人。私の興味や意欲を優しく刺激して、ちょっとずつだけ無理させてくれる人。
それが夫だった。
大人数でわいわい集まること、子どもと接すること、中間距離の人と人間関係を結ぶこと、ときどき旅行に行くこと、馴染みのない土地で暮らすこと、食べたことのないものを食べること… 行動的でエネルギッシュな夫は、私をやいのやいのといろいろなことに少しずつ引っぱり出して、否応なく慣れさせていってくれた。私は夫を大好きで信頼していて、一緒に過ごしたかったし、彼と離れて自分で何か積極的にやることがあるかというと家に閉じこもるぐらいしかないので、ちょっとずつ無理しながら彼の紹介してくれる世界のはしっこに参加していった。
中には少々不本意なこともあったし、やはりあとで疲れて寝込んだりするのだけど、それでも、何かを実際に体験するということの味わい深さ、面白みは格別のものだった。それを、自分を誰より理解し大事にし、生活を、人生をともにしてくれる人とともに味わうというのは、孤独だった私にとってまるで天からの恵みだ。
ちょっと怖いけどすごく面白い人生を生きる
年末には久しぶりに夫と旅行し、白魚の踊り食いをしたり、ヘルメットをつけて洞窟の探検をしたりした。こんなこと、私一人だったり、夫と出会う前の私だったら絶対に、絶対にやろうとしなかったことだ。
特に洞窟の体験は体力的にも感覚的にもとてもきついもので、たぶん私が旅行後に寝込んだ理由の半分以上はあれのせいだったと思う。今後怖いことの象徴として悪夢に出てきそうでもある。けれど、本当にいい経験をさせてもらったと思う。私はああいう理科っぽいものに目がない。一度は行ってみたい、でも怖い、という気持ちの間で長いこと葛藤していたのだった。
生きたまま食べさせてもらった白魚たちは、器の中で可愛らしく泳ぎ回っていた。まだ卵の栄養が残っていてぷっくりしたおなかは、彼らがまだ本当に生まれたてだということを示していた。持ち帰って飼って可愛がりたいという気持ちを抑えながら思いきってぐいっといくと、爽やかなポン酢の香りの中で彼らは控えめに跳ねた。そしておとなしく私の歯に何度か噛まれて喉を下っていった。ごく普通に美味しくいただいた。
夫には感謝してもしきれない。彼は心理療法のことなどよく知らないはずだけれど、私にとてもよい暴露療法をしてくれているような気がする。
夫がちゃんと優しく手を引き、背中を押してくれるからこそ、私はこういう、ちょっと怖いけどすごく面白いことにチャレンジしてみようと思う。そして同時に、そんなことのたくさん集まった、ちょっと怖いけどすごく面白い人生を、少しだけ頑張って生きてみようと思うのだ。