私はかつてニセ医学に傾倒し、脱出し、現在は反ニセ医学活動をしている。思うところあって、私のニセ医学遍歴と、私がニセ医学に傾倒するようになった原因、そして抜け出せた経緯について明らかにしておきたい。後半には、医療に関係する方々へのお願いをまとめた。
Contents
いまこの記事を書く理由と目的
まず強調しておきたいこと。私が懸命に反ニセ医学活動をしているのは、私自身がニセ医学の被害者だからだ。突き詰めてしまえばどこまでも自分のためにすぎない。
自分がニセ医学に騙されてきた遍歴など暴露するのは非常に恥ずかしいのだが、思いきって書くことにする。いつか書かなければいけないと思っていたのに、延ばし延ばしにしていたことを先にお詫びしておきたい。
Welq問題を発端に、いままで一般に信頼度が高いとされてきたメディアにさえ、情報の信頼性やモラルの低さに批判が向けられるようになった。
私はこの影響で、自分が今まで信頼してきたものをすべて疑わねば危険だと思うようになり、いろいろと情報を集め始めた。そして調べるほどに、知りたくもなかったことをたくさん知ってしまった。詳細は伏せる。これが、今こそこの記事を書くべきときだと思った理由だ。
この記事が、ニセ医学、またはニセ医学的な要素を持つ何かの蔓延を、1ミリでもいいから食い止める方向に役立ってくれれば幸いだ。
私がニセ医学に騙された理由
不調とコンプレックスのデパート
私は昔から不調とコンプレックスのデパートのような人間だった。いつもいつも体調が悪く、仕事が体力的に続かない。いま思えば不調の大半は発達障害由来のものと、運悪く背負った病気、そして精神的ストレスからの心身症的なものだった。
・発達障害由来の不調
→のぼせやすさ、疲れやすさ、皮膚や粘膜の過敏、薬剤過敏
・病気による不調
→月経困難症(恐らく子宮内膜症によるもの、確定診断はなし)、片頭痛、過活動膀胱、腱鞘炎
・心身症による不調
→食欲不振、不眠、抑うつ感、ひどいニキビ
・コンプレックス
→胸が小さい、体毛が濃い
「お前がだらしないからだ」
山ほどの不調とコンプレックスに悩む私に、家族や仕事先の上司などといった周囲は「お前がだらしないからだ」「もっと自己管理し努力せよ」ということを繰り返し言った。
いま思えばこれら自体、ニセ医学的な要素を含んだ発言だといえる。
ニセ医学それ自体がモラハラ的であると同時に、モラハラ加害者がニセ科学的言説を「根拠」として利用することもあるという、非常に入り組んだ構造になっている。ともかく共通するのは、何らかの権威・権力・パワーで被害者を圧倒する点。
— 宇樹義子(そらき・よしこ) (@decinormal1) December 5, 2016
今なら私も彼らの発言に反論することができる。「彼らも正しい知識・態度を知る機会に恵まれずにきたのだからある意味で可哀想だ」とも思うことができる。しかし、当時の私はとても孤独で、私自身の知識も今よりずっと少なかった。彼らの発言はただひたすらに私を圧倒するものとして響いた。
標準医療で十分な治療・ケアを受けられなかった
本当にこんなことは言いたくないのだが、どうしても言わなければならないから言おう。私が代替医療に手を伸ばし始めた最終的なきっかけは、標準医療の医師から十分な治療・ケアを受けられなかったことだ。
月経困難症では、すでに15年ほども前のことになるが、婦人科で以下のような対応を受けた。
「内膜症とか筋腫とか器質的な問題は何もない。典型的な機能性月経困難症。痛みを感じやすいとか、子宮がまだ未熟とか、ともかくそういう体質なんだろうね」「子ども産むと楽になるんだけどねー」などと顔も見ずに言われ、とりあえずという感じで処方薬のイブプロフェン(ボルタレン)を処方されたりした。
イブプロフェンを飲むとかなり楽になったが、私は胃腸が弱いので、いちばん痛む3日間ぐらいを痛みを十分に抑え込めるほど飲むと胃がキリキリ痛み、下痢を起こした。胃腸症状が出たと訴えると、「ずいぶん敏感なんだねえ…」と面倒くさそうに胃薬を出されるだけだった。
※「イブプロフェン(ボルタレン)」は「イブプロフェン(ブルフェン)」の誤りです。ご指摘くださった方ありがとうございました。私は処方薬の鎮痛解熱剤ではポンタール、ボルタレン、ブルフェンなどいろいろ処方されたのですが、婦人科に通わなくなってからはイブプロフェン系の市販薬を使うことが多かったので、どうも頭の中で混ざっていたようです。
それから何度か婦人科にかかることがあり、そのたび強い痛みを訴えたが、子宮内膜症の可能性を指摘してくれる婦人科医はその後10年強の間出現しなかった。婦人科専門医が検査のうえでそう言っていたし、当時は現在のような「子宮内膜症は検査では非常に見つけづらい」という知識も得ていなかったので、本当に「私が痛みに弱いのだ。私の体質のせいなのだ。私が悪いのだ」と思い込んでいた。
片頭痛に関しては、近所のかかりつけ医のところに行って痛みと付随症状を訴えても、頭痛専門医のところに行けと言われるのでもなければ、すでに流通していたはずの片頭痛薬を処方してくれるわけでもなかった。だから私は5年ほど前まで、世の中に片頭痛薬というものが存在することも知らなかった。医師のなおざりさに多少の疑問は覚えたものの、お医者さんがこう言うのだから正しいのだろう、と医師を信頼し、忠実に指示に従っていた。疑問を呈しようものなら「小うるさい患者だ」と思われたり怒られたりしそうで、怖くて言い出せなかった。そうして一般的な鎮痛解熱系の痛み止めを飲んでは、大して痛みがなくなるわけでもないまま副作用の胃腸症状に苦しむことをずっと繰り返していた。
医者にも行ったのに治らなかった。私がだらしなくて自己管理が足りないからだ、体質が悪いと皆が言うならきっとそうなんだろう。なら、私はもっともっと自己管理し努力しなければならない。私の症状は標準医療で治せるものではないのかもしれない、だとしたら標準医療以外のものに活路があるかもしれない― そう思った私は、必死にいろいろな代替医療に手を伸ばすようになった。
ともかく健康に日常生活を送れるようになって、まともに働いて自活したい一心だった。
いまとなっては、自分は本当に権威に弱く、権威を前にすると思考停止する傾向があるのだなと強く思う。
私が騙された代替医療・ニセ医学・ニセ科学
私はもしかすると、「メジャーどころの代替医療やニセ医学・ニセ科学はひととおり通り過ぎてきた」と言えるかもしれない。以下に思いつくままに羅列する。思い出せないだけでもっとあるかもしれない。
・月経困難症
→月経血トレーニング、子宮を温める・ほぐす系(ゆるめる系体操、布ナプキン)、漢方薬で瘀血(ドロドロ血)を改善する系、女性性を受け入れてうんぬんするイメージトレーニング系
・片頭痛
→ハーブのカプセル摂取(フィーバーフュー)、アーユルヴェーダで頭の熱をとる(ヘナやココナツオイルでヘアパック・ヘッドマッサージなど)、蛍光灯を避ける
・片頭痛・月経困難症共通
→サプリ(ビタミン、ミネラル、抗酸化物質、オメガ3系油など。メガビタミン系も通った)、鍼灸・アロマ・マッサージ、心身の痛みを癒やすとされるパワーストーン、食餌療法(身体に合わないとされる食材を避けた結果、ゆるいベジやマクロビ系の考え方にも少し影響された)
・過活動膀胱(もしかすると間質性膀胱炎?)
→冷えとり、漢方薬
・腱鞘炎
→炎症は温めて治す系
・のぼせやすさ
→鍼灸・アロマ・マッサージ・カッピング・漢方薬
・皮膚・頭皮の荒れ
→低刺激系シャンプー、せっけん洗髪(苛性ソーダを買ってきてせっけんの手作りまでした)、クレイ洗髪、ハーブ粉洗髪、小麦粉・ヨーグルト洗髪、ノーシャンプー、身体も同じく
・疲れやすさ・不眠・抑うつ傾向
→アーユルヴェーダの体質に合うとされるインテリアにする、バッチフラワーエッセンスのレスキューレメディー
・食欲不振
→食卓周りの小物を赤にして食欲アップ云々
・コンプレックス
→バストアップ体操、バストアップする食材・サプリ・化粧品、体毛を薄くするとされる化粧品
・ほかにハマったもの
→重曹ですべてが解決できる系、発達障害は治る系の有名医師K氏(Oリングテストで漢方薬やウコンのサプリを勧められた)
※ここに羅列する療法や主義主張について、ニセやトンデモであると主張する意図はない。あくまで私の持っていた症状に対し、のちに受けた最新の標準医療による十分な治療以上の効果や信頼性が感じられなかったものを単純に羅列している。この中には、今後の研究でエビデンスがとれるものもある可能性がある。
ニセ医学でたくさんのものを失った
私が本格的にこれらにハマったのは5年ほどの間だった。
繰り返すが私は、ともかく健康に生きたい、その一心だった。
しかし、どれだけ時間と手間とお金を注ぎ込んでも体調は良くならなかった。気のせいレベルで少しの間改善したように思えることもあったが、長い目で見ると症状はむしろ緩慢に悪化していった。生活のすべてを上記の療法に捧げながら、月の半分程度は寝込むような生活だった。
どうしてこんなことになってしまうんだろう、それはきっと、周囲のあらゆるものが私に訴えかけてくるとおり、私の「心がけが悪い」「努力が足りない」「だらしない」「体質が悪い」からだ、もっともっと、もっと努力しなければ… 健康のためなら死んでもいい、本当に死んでもいいから、少しの間だけでもいから健康になりたい、と、私は布団の中で痛みに悶えながら思った。
5年間の間に自己肯定感は地面にめりこむほどに落ちていった。履歴書には穴があき続け、二度と来ない20代の時間は過ぎていき、お金もどんどん飛んでいった。家族やたまに働こうとしたときの上司などにはカルト信者のようだと気味悪がられ、金持ちのお嬢様の道楽だと笑われた。これほど出口がなく、誰も彼も私を責めるのならいっそ死のうかと何度も思った。
これらに費やしたお金をおおまかに計算すると、延べ数百万円である。
ニセ医学から抜け出すまでの経緯
代替医療に注ぎ込むだけのお金がない!
30過ぎのある日、私は実家を出て、現在の夫のもとで暮らすようになった。私は実家では母との関係に長年苦しめられていたため、見かねた夫が助け出してくれた形だった。
裕福な実家に育った私は、この環境になってすぐに「自分は代替医療に注ぎ込むだけのお金を持っていない」ということに気づいた。敵対的な形で家を出たため、実家にお金を無心できるような状況でもなかった。
賭けるなら安価で賭けられるほうに
しばらく考え込んだ。そして自分が「引っ込みがつかなくなっていた」ことに気づいた。代替医療に一度すべてを賭けてしまった以上、ギャンブルと同じで「ここまで注ぎ込んだのだからそろそろ当たりが出るのではないか。今やめたら今まで注いできた労力がもったいない」という気持ちになってやめられなくなっていたのだと、今では思う。
もしかしたら本当にもう少しで「当たりが出る」のかもしれなかった。けれど、私はその当たりを、やっと一緒になれたばかりの心優しい夫とともにサラ金に追われてまで欲しいとは思えなかった。
もしかすると、私がさまよっていた間に医学が進歩しているかもしれない。新しい医師との出会いの中に「当たり」があるかもしれない。だったら、まずは借金せずに賭けられるほうに賭けよう、と思った。
恐る恐る婦人科と内科へ
婦人科に行った。また冷たい反応をされたらどうしようと怯えながら。すると、若く溌剌とした印象の医師は、真正面から私の目をしっかり見ながらこう言って微笑んだ。
「低用量のピルを飲んでみませんか。少なくとも痛みを劇的に軽減しますし、仮にあなたが初期の内膜症だったとしても、その治療になります。少なくとも進行を止めてくれます」
私が内膜症かどうかはどうでもいい。ともかく、失神するほど痛いのが楽になるならそれでいい。夫との生活を元気に送りたい。ホルモンを人為的に身体に入れるなんて怖い? 知るか、勝手にいくらでも言ってろ! そういう気持ちで飲み始めて数ヶ月で、それまでの20年近くの我慢がバカらしくなるほど痛みが軽くなった。
そこで、もしかすると片頭痛にも知らないうちにちゃんとした薬が出ているのかもしれない、と思うようになった。
試しにネット検索すると、片頭痛薬だの、片頭痛予防薬だのが山ほど出てきた。急いで内科に行って処方してもらったら、片頭痛発作では半日か1日寝るだけで済むようになった。1回出ると頭が割れそうに痛んで1ミリも動かせず、視野も狭くなって3日ぐらい寝込んで何も食べられず、トイレには這っていき、ときに嘔吐し、完全回復まで1週間かかっていた発作がだ。
ときには月に5万以上費やしていた健康維持のためのお金が、1万円以下になった。
ニセ医学を抜け出してから
怒りがふつふつと沸いてくる
月経困難症と片頭痛から解放された私はとても幸せだった。「死ぬほど欲しかった」健康を手に入れられたからだ。やっと働ける体調になって仕事を探し始め、数年かけて今に至る。
私はいま幸せだ。けれど同時に、ふつふつと怒りが沸いてくるのだ。かつて私の苦しみを私の心がけのせいにした周囲の人たちに。最初に十分な治療・ケアをしてくれなかった医師たちに。自信を失った私に対し善意の助け手の顔をして近づいてきて、忠誠心と時間とお金を搾り取っていったニセ医学に。そして何よりも、それらに屈するしかなかった自分自身に。
どれだけ後悔しても、恥じても、悲しんでも、怒っても、失われた時間だけは絶対に戻ってこない。自尊心も、お金も、人間関係も場合によっては取り戻すことができる。けれど、無駄にした20代の時間だけは戻ってこない。
ときどき、ふとワーッと嵐のように喪失感や怒りや悲しみに襲われる瞬間がある。そんなときはほんの一瞬だけれど、死んでしまいたくなる。
抜け出せたのは単に運がよかったから
それでも、私がハマっていたのは5年間だけだったから、戻ってこれたから、まだいい。サラ金に追われるような身にもならなかったからまだいい。そして、誰も死なないですんだから、まだずっとずっと、ずっと運がいいのだ。
ニセ医学のために半生を棒に振る人もいるだろう。お金がないと言ったら親切にもローン契約を持ち出されて借金に追われるようになったり、借金や刷り込まれた自責の念を苦に自殺や心中に行き着いてしまう人もいるだろう。タイミング悪く特にたちの悪いものに引っかかって、一刻も早く治療が必要なのに必要な治療から遠ざかり、結果として自分や大事な人の命を失ってしまう人もいるだろう。というか、実際にそういう例をときどき耳にする。私は彼らのことを、とうてい他人とは思えない。
だから私は、一人でもこういう要らぬ苦しみや喪失を背負う人を減らすための役に立ちたいのだ。彼らは私だったかもしれないから。これはあくまでも自分自身の救済のためだ。私は、いつかの私がそばにいてほしかった誰かを、自分で演じているだけにすぎない。
医療に関係する方へのお願い
私は、医療に関係する方に、また、医療業界に関する権限を持っている方に、伏してお願いしたい。どうか、「標準医療で十分な治療・ケアを受けられなかった結果ニセ医学に流れる」という人たちが散見される現状を変えてはくれないだろうか。
現状の標準医療の現場は、患者に対して精神的なケアも含めた十分な診察・対応時間をとる人的時間的余裕がない。ニセ医学は、そこからこぼれ落ちた人たちの心の隙にうまく入り込むのだ。ニセ医学批判をするのも大事だが、根本解決するには標準医療が彷徨う患者たちをもっともっと受け入れられるように変わらなければならないように思うのだ。
もちろん、医療職も周辺の職もそれぞれ職業のひとつであり、従事するどの人にも、自らの生活の質を保ちながら仕事にあたる権利があること、それがほかの職業従事者とまったく同じように尊重されるべきであることは、私は理解しているつもりだ。
だから、医療職の方に、休むなとか、24時間365日診療しろとか、報酬を安くしろとかいった類のことは私は言いたくない。本来、医療職に就くような方々の大半は根本的に善意と奉仕の心の豊かな方々だと私は思っている。であるならばなおさら、その善意と奉仕の心に過剰に頼ったシステムなど作ってはいけない。
代わりに私はこう思っている。医療従事者の権利と生活の質を十分に保ちながら、患者たちに常に最新・正確かつ十分な治療とケアが行き渡るような医療システムを作り出してほしい。
実現可能性はさておき、ごく素直にこの状況の理想的な打開策を考えた場合、私の頭ではこれ以外の策が思いつかないのだ。
素人考えではあるが、これを実現するにはおそらく、以下の2要素が必要だろう。いまの医療の現場やその周辺の状況には、質も量も足りていないと思われるからだ。
- 医師を始めとした医療の専門家の質をより高く保つシステム(たとえば医師免許更新制度など)が整備されること【質を高める】
→医師免許を一度取ったら取りっぱなしというシステムが、古かったり誤ったりしている知識でもって患者に接したり、モラルを欠く言動を行ったりする一部の医師の蔓延に歯止めがかからない理由のひとつと思われる
- いまの少なくとも3倍以上程度の医療の専門家を育成し、各所に配備するための莫大な予算が国から投入されること【量を増やす】
→大病院の3分診療はよく批判されるが、では今の体制のままで一人の患者に10分や30分ずつかければいいかというと、とうてい現場は回らない
【付記】医師もひとりの人間
関連する話題なので、最近見聞きしたことから考えたことを付記しておく。
医師も一介の人間だ。個々人の間に能力の差もある。常に最新の知識を入れていなければ彼らの専門性はすぐに時代遅れのものになってしまう。それに、どの個人にもほかの職業従事者と同じように家族や生活や欲がある。月々の収支のことを考えると営業活動や副業が必要になってくる人もいるだろう。
信頼し頼ってくる患者たちを前に、権威をふりかざして効力感に酔いたい気持ちになることもあるだろう。そんなときにやってきた患者に対し、適切な治療・ケアを十分に与えられる医師ばかりではないのが現実だ。人間は弱く愚かな存在なのだ。
医師はいわば、医療の専門知識と経験があるだけのひとりの人間にすぎない。誰もが大局的な視野や、立場の違う人間への十分な想像力、政治能力や人間観察力を兼ね備えているとは限らない。怪しげな人にうっかり騙されたり、利用されたりすることもあれば、政治的立場を誤ることもあるだろう。素人からどんなに権威のある医師であっても、そのリスクから自由ではいられない。
だから私は医療や医療リテラシーの分野について、それぞれの医師や関係者個人を責めてもしかたがないと思っている。人間のうち何割かが仕事上人生上の道を誤ったり、誤った知識に基いて行動したりする。医療職に就いている人だってその割合はおおよそ同じはずだ。
医師は人の命を預かる仕事だから、すべての医師ができるだけ間違いを犯さないように生きるべきなのはあたりまえだ。というか、できるだけ間違いを犯すべきでないのはどんな仕事だって人間だってそうだ。しかし、だからといって絶対に間違いをしないことを医師個人に強要するのは無理があるし、生産的でない。これはシステムや政治の問題なのだと思う。
「属している人たちの幾分かが必ず間違う」「要求されることに対してリソースが少ないほど間違いは増える」という事実を前提としたシステムを作らねばならないのだと思う。