マインドフルネスとは何か 定義と実践方法 ―「いま、ここ」に集中する

この記事の所要時間: 1631

最近メンタルヘルス界隈でときどき聞かれる「マインドフルネス」という言葉。一般の人のメンタルセルフケアだけでなく、うつ病やPTSDの治療、心理職に従事する人々のセルフケアなどにも使われている。この記事ではマインドフルネスの定義と実践法について紹介したい。

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【2017年2月19日追記】「マインドフルネス瞑想には積極的治療にまさる効果があるとのエビデンスはない」との調査結果がある

こちらの2014年の論文のFindings(調査結果)部分によると、

Meditation Programs for Psychological Stress and Well-being: A Systematic Review and Meta-analysis
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4142584/

以下のような検証結果となっている。(訳:宇樹)

17801の文献を検証したさい、我々は3320人の参加者と共に行った47の治験を含めた。

マインドフルネス瞑想プログラムには、不安、抑うつ、痛みを改善することについてまずまずのエビデンスがあったが、ストレスや苦悩を改善したりメンタルヘルスに関連した生活の質を改善したりすることについてのエビデンスは少なかった。

楽観的な気分、注意力、薬物使用、食事、睡眠、体重に対するマインドフルネス瞑想の効果について以下のことがわかった。
・「まったく効果がない」ことについての少ない証拠
・「何かしらの効果がある」ことについての不十分な証拠
(訳注:「少しでも効果がある」と言うにはエビデンスが不十分であり、「まったく効果がない」と言っていいエビデンスがわずかながらあった、という意味かと)

「マインドフルネス瞑想のプログラムがほかの積極的治療(薬、運動、その他の行動療法)に勝る」というエビデンスは発見されなかった。

※医療・科学論文の翻訳は専門でないので、何か誤りがあったらお目こぼし願いたい

日本ではNHKがとりあげた2016年ごろからマインドフルネスが一種のブームのようになっているが、日本での「画期的なメンタルケア方法」という印象に比べ、海外ではその正当性に疑問符がつけられるような研究が進みつつあるということだ。

マインドフルネスはどうやら魔法の杖でないばかりか、「他のいわゆる普通の病院の治療のほうが効果がある」という程度の、世の中にあまたあるメンタルケア方法のひとつに過ぎないようだ。やらないよりかはぼちぼちマシだが、だからといって病気が治るかというとそうではない、という程度なのだろう。

「健康のためにはなるべく野菜をとったほうがいいよ」ぐらいに該当するか。そもそも残念ながら、世の中のほとんどのことには魔法の杖など存在しない。

以下の記事は常に上記のような嫌疑を挟みながら読んでいただきたい。もしマインドフルネスを実践する場合は、必ず医師と相談しながら、標準医療と併用する形で実践していただきたいと思う。自己判断で標準医療から離れたり、医師から処方されている薬をやめたりすることは非常に危険だ。

マインドフルネスとは

まずはマインドフルネスの定義をいろいろ並べてみたい。太字は宇樹。

Wikipediaでの定義

マインドフルネスとは、仏教におけるサティ(正念)から、宗教的要素を除き、メソッド化した自己啓発や心理療法として用いる瞑想をベースとした、エクササイズであり、テクニックであり、状態である。
マインドフルネスは、今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることである。また、特別な形で、意図的に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことである。

Wikipedia – マインドフルネス

日本マインドフルネス学会による定義

 本学会では、マインドフルネスを、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。
なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である。

日本マインドフルネス学会 公式サイト

※日本マインドフルネス学会の組織図はこちら

ヒューマンウェルネスインスティテュートによる定義

 マインドフルネスとは、「今この瞬間」の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることです。1つのことに集中して行います。いつでもどこでも実践できます。

ヒューマンウェルネスインスティテュート

※ヒューマンウェルネスインスティテュートはNPO法人。組織図はこちら

わかりやすくまとめると、こういえるだろう。

マインドフルネスとは、「いま・ここ」の体験に意識を集中させて、良い悪いなどの価値判断を捨て、五感や心で感じたまま(=あるがまま)に現実を受け入れること

マインドフルネスは現在、精神医療や心理学の界隈で一種のホットワードになっている。認知行動療法やトラウマケアの分野で治療に取り入れる専門家も多い。

マインドフルネスが注目を浴び始めたのは1980年前後からだが、日本にはもっと古くから、やはり「あるがまま」にものごとを捉えることを中心に据える「森田療法」というものがある。これは1919年に森田正馬という精神科医によって提唱されたもので、不安神経症などの不安の低減を目指していた。

こちらの記事では、森田療法とマインドフルネスの違いがわかりやすく描かれている。

マインドフルネスと森田療法は、どちらも対象を「あるがまま」に受け入れる点では同じですが、私の理解では、マインドフルネスが対象を観察するのに対し、森田療法では観察せずに放っておく。不安や恐怖が自分と共に在ることを許すが、あえてしっかり見つめることはしない。そこが異なります。(以下、私見ですが)不安や恐怖の軽減にもマインドフルネスは使えますが、ケースによっては、不安や恐怖を観察しない方がいい場合もあるのではないか――と考えています。

現代の欧米で評価される東洋思想

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欧米では、ときに東洋思想的、特に仏教的な考え方がもてはやされることがある。キリスト教的なものとは違った方法論を持ったアプローチが、西洋的な個の感覚だけでは対処できずに膠着状態に陥っていた心理的問題を打破する場合があるからだろう。

欧米の人々の東洋思想への傾倒で有名な専門家は、精神科医・心理学者、分析心理学の祖であるC・G・ユングだ。彼は密教思想に入れ込み、後半生は曼荼羅(まんだら)を描くことに没頭した。「オカルトに片足を突っ込んでいる」と批判されることもある。

※ちなみに「マンダラ」とはサンスクリット語の「manda(本質・真髄)+la(得る・持つ)」で、「本質・真髄を得るための絵、または本質・真髄を持っている絵」という意味だといえる。

現代の欧米人、とくにキリスト教的世界観に限界を感じる知識階級の一部では「禅」の考え方が高く評価されており、「ZEN」という形で一般に広く認識されるようになっている。京都の寺社のあたりにはこうした欧米人が多くいて、熱心に座禅の体験にいそしむ姿も見られたりする。

数十年前には「ニューエイジ」というムーブメントが起こり、このときにも東洋思想がもてはやされた。どんな思想であれ、輸入されたり翻訳されたりする間に深みや本質が削ぎ落とされ、表面的なエッセンスだけが取り入れられて次第に怪しくなっていくことがあるが、この時代もそういう傾向があり、カルト化していく様子もみられた。日本では少し前からこのニューエイジ的思想が周回遅れで逆輸入され、自己啓発系セミナーの一部と絡まり合ってさらに怪しくなっていく動きもみられている。

マインドフルネスについては今のところそれほど怪しい感じがみられないようにも思われるが(宇樹の私見)、推進する側の人たちが「科学的な効果が証明されている、生活全般に良い影響がある」と主張するいっぽうで、「マインドフルネス実践によって創造性が失われた」とする言説もある。

Googleが実践する「マインドフルネス」がいかに創造性を殺したかという記録 - GIGAZINE 
http://gigazine.net/news/20151031-mindfulness-killed-my-creativity/

また、マインドフルネスの実践法を教えるワークショップの中には、万単位の参加費を必要とするものもある。

なんにしろ、すべてを鵜呑みにはせずに常に眉に唾をし、「いいとこどりする」つもりであたるのが、こういったものを実践するにあたっての鉄則だと思う。

マインドフルネスの実践法

マインドフルネスの実践法にはいろいろある。もともとは仏教系の禅や瞑想から出てきたものなので、じっと座禅を組んで瞑想するというのもポピュラーなやりかただが、マインドフルネス実践の場はこういった静的な瞑想だけではない。

マインドフルな態度 ―「いま・ここ」で起きていることに五感を使って集中し、価値判断を捨てる― であたれば、生活の中の多くの活動がマインドフルネス実践の場となる。

また、西洋的な個人の感覚から離れて、自分の存在についての意識を大きく広げ、東洋思想的なかたちでほかの人々や生き物と有機的につながるようなイメージを持つのであれば、それもマインドフルネス的だと言えるだろう。

マインドフルな態度は、過去にとらわれてしまった心を現在に引き戻し、悲観的すぎる自動思考をストップしてくれる傾向がある。また、自分と世界がつながっている感覚でもって不安や孤独感を癒やしてくれる傾向も。このことから、「マインドフルネス認知療法(MBCT)」は、うつ病などの患者の症状軽減にも使われている。

これを応用したイメージワークが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)患者の症状軽減のためにも用いられている。

1.五感の実況中継

五感で感じることをどんどん実況中継していくやりかた。

視覚であれば…

「壁が見えます。天井が見えます。カーテンが見えます。窓が見えます。机が見えます。椅子が見えます。自分の手が見えます。自分のかけているメガネが見えます。よく見れば自分の鼻も見えます…」

触覚であれば…

「足の裏に床を感じます。お尻の下に椅子の座面を感じます。下着が直接肌に触れているのを感じます。身体が服に覆われているのを感じます。目がほんの少しかゆいです。手が少し熱いです。額に汗がにじんでいくのを感じます。」

こういったことを、五感すべてで行なうことができる。

こうしていると、そのときにとらわれている雑念やマイナス思考などから解放され、「いま・ここ」に意識を引き戻すことができる。これは応用すれば、パニックやトラウマ起因のフラッシュバック、離人感覚(魂が抜け出るような感覚。PTSDのひとつとして起こることがある)への対処、心理職従事者がクライエントから深刻な体験を聴いてしまって動揺したときのセルフケアなどにも使うことができる。

こういった応用のケースは、この本に詳しく書かれている。分厚くて骨のある本だが、私はこの本に従ってイメージワークを行なうことで、PTSD症状に悩まされることも減ったし、フラッシュバックなどが起きるときもその程度が格段に軽くなった。

こうした、さまよっている心を「いま・ここ」に引き戻して落ち着ける作業は「グラウンディング」とも呼ばれる。宗教要素が強かったりちょっと怪しかったりする界隈では「チャクラが」「光のイメージを云々」とかいう形で表現する場合があるが、マインドフルネスの応用として行なう場合にはそこまで宗教くさくする必要はない。

じっと静止して行なう必要はない。これを食事中に行なえば「マインドフルネス・イーティング」になり、ジョギングしながら行なえば「マインドフルネス・ジョギング」となる。

2.不安を積極的に迎え入れ、五感で味わう

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不安をから目をそらしたり、かき消したり、追いやったりするのではなく、真正面から向かっていってほどいていこうとするやりかた。

不安を感じたら、まずそれを「ああ、私は不安だ。私の心の中に不安がある」と現実をそのまま捉える。それについて、不安を抱くことはいけない、とか、そんな自分は弱い、とかいった価値判断はしない。

次に、不安を五感で味わってみる。手のひらでゆっくりと自分の身体に触れながら、不安が影響してこわばったり、熱かったり冷たかったり、心臓であればドキドキしているのをじっくり感じていく。

そして、手をふれたまま、その不安の身体感覚と対話してみる。「この不安はなぜここにとどまっているのだろうか?」「この不安が欲しいのはいったいなんだろうか? 何を与えてほしくて暴れているのだろうか?」など。やりにくいようであれば、「不安虫」とか「不安さん」とか、仮に人格化してそれと優しく会話するようなつもりになってみてもいい。

このような、自分の心の中にある要素をとりだしてみて対話する作業は、「外在化」という。この作業は、自分を圧倒していた思考の影響から離れて、その思考を客観的に吟味して過不足なくとらえるための助けになる。

その不安が欲しいものは、何かへの所属の感覚かもしれない。あるいは親や神のような人からのわかりやすい答えかもしれない… 見えてきたものがどんなものであっても、それについて価値判断はしないようにする。そして、それをもう一度自分とつなげる。たとえば、「私の心の奥には、所属の感覚や、親や神のような人からの答えが欲しい気持ちがあったのだ」などととらえてみる。

最後には、「私が所属の感覚を得られますように。頼りがいの感じられる答えが得られますように」などと願う。「不安虫」や「不安さん」をよしよしし、その幸せを願うような感じでやればいい。

こうした作業を経ることで、不安の原因を過不足なく捉え、それを自分で対処可能なものにまで噛み砕いて理解することができる。ここまでくれば、不安に追いかけられるままの日々から解放される日もすぐそこだろう。

3.不安を感じたり失敗を起こしたりするのは自分だけではない、という現実に目を向ける

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うつ傾向のある人に多いのだが、自分の不安や失敗を過剰に問題視しすぎて、どんどんマイナスな自動思考にとらわれていってしまう場合がある。行き着く先は「だから私なんて死んだほうがいい」だったりする。

ここで自分の枠から外に出てみるわけだ。

この地球には現在数十億の人間がいる。過去にはもっと多くの人間が生まれ、生き、死んできた。これほど多くの人間たちがいて、自分のように不安を感じたり失敗したりする人は、ほかにもたくさんいただろうし、今もいるに違いない。

私は世界でたったひとりで苦しんでいるのではない。同じように、不幸や、自分の不完全さに苦しみ悩む人が数限りなくいるはずだ。そうでなければあの映画もこの文学作品も生まれなかっただろうし、複数の有名な宗教だって、「人というのは不完全で弱い存在だ」と繰り返し言っている… こんなふうに考えてみるのだ。

視覚的イメージとしては、自分の見えるたとえば半径数メートルの視野だけにとどまっている心のカメラをずーっと大きく引いて引いて引いていって、100メートル範囲、1キロメートル範囲、100キロメートル範囲、そして最後には地球が視野の向こうに小さく見えるほどに引いていく感じをイメージすればいい。

このイメージ法は私がとても気に入っているもので、知って以降はときどき実行している。なんともいえず心が温まり、「自分も含めた人間存在全体が、ちっぽけながら美しく愛しい」といったような、不思議な気分になって癒される。不安も孤独も、温かな感覚に包まれてどこかへいってしまうのだ。

参考文献

こちらは英語サイトだが、非常に実践的な内容でとても役に立つ。

mindful - taking time for what matters 
http://www.mindful.org/

上記のサイトの記事をもとに以前別のペンネームで書いた記事はこちら。

試してみよう! 不安を軽減する5つのステップ | mamanoko(ままのこ) 
https://mamanoko.jp/articles/10120
いつでもどこでもカンタン10秒! ストレスを軽減する3ステップ | mamanoko(ままのこ) 
https://mamanoko.jp/articles/11168
【試してみよう】 キライな自分を許すための3つのステップ | mamanoko(ままのこ) 
https://mamanoko.jp/articles/11501

おすすめ書籍

やたらCDがついていたり、あの○○が実践している! とかいった大げさな文言があったりしないところがおすすめ。

強迫神経症などに強いクリニック「心療内科・神経科赤坂クリニック」を主催する貝谷先生の書かれた本。私もこのクリニックには数回通ったことがある。

上に紹介した複雑性PTSDの本を監修なさった白川美也子先生の最新の単著。彼女は日本の「複雑性PTSD」治療の第一人者。2016年5月26日発売予定で、当記事リリース日現在予約受付中。

マインドフルネスの源流である原始仏教の僧、ティク・ナット・ハン禅師は、Googleなど世界各地で講演や瞑想イベントを行っており、マインドフルネスブームの発端となっている人物とも言える。

ティク・ナット・ハン禅師は、「インタービーイング(相互依存・相互共存)」という概念を非常に大事にしている。「あなたがあるからわたしがある」「世の中のすべてのものは互いに依存して存在している」というものだが、この概念がなぜ心の平穏に役立つかについてはこちらの記事に少し書いている。

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