バレンタインの由来、起源、歴史とは? チョコを贈るのはなぜ? 日本のバレンタインデーの習慣には、キリスト教の大人の事情と、日本の大人の事情が複雑に関わっている。ちょっとした雑学をまとめておきたい。
Contents
バレンタインデーとは
バレンタインデーとは、2月14日に祝われる、もともとキリスト教文化圏の「(男女・夫婦の)愛の祝日」。古代ローマにいたとされるキリスト教の司祭、聖バレンタイン(聖バレンチノ、聖ワレンティヌス)がこの日に、男女の結婚を手助けするために殉教したとされる。
日本のバレンタインデーが「チョコを贈る日」になった理由
日本の多くの人は、バレンタインデーといえば「(主に女性が男性に対して)チョコレートを贈って愛を告白する日」と認識しているようだ。私も小さな頃は世界でもそうなのだろうと思っていたが、実は「バレンタインデー = チョコ」の感覚は、20世紀後半になって日本に生まれた独特のものだ。
「バレンタインにはチョコ」という発想の誕生
バレンタインデー自体が日本に持ち込まれたのは第二次世界大戦後、日本への進駐軍によってだった。その後、製菓業界などの販売促進戦略のひとつとして、「バレンタインデーにはチョコレートを贈ろう」という主旨の広告がさかんに行われるようになった。
「バレンタインにはチョコ」という感覚を作り出した製菓業者はモロゾフだ。モロゾフは神戸の会社。1931年にチョコレートショップとして創業し、1936年に日本で初めて、「バレンタインデーには愛する人にチョコレートを」という主旨の広告を掲載した。
モロゾフの歩み | 会社情報 | IR/会社情報 | モロゾフ株式会社
その20年ほどあとの1958年、新宿伊勢丹で、チョコレート贈答を前面に出したバレンタインデーのイベントが行われた。これを行ったのは東京都大田区の贈答用洋菓子メーカーであるメリーチョコレートカムパニー(1950年創業)。イベントを考案したのはアルバイトの学生。彼はのちにこの会社の二代目社長となる原邦生だった。
ブランドストーリー | チョコレートなど洋菓子・スイーツのメリーチョコレート
1960年以降、森永製菓やソニープラザなどもこのアピール合戦に参加した。面白いのは、当時のイベントは小売業界のアピールにもかかわらず閑散としており、「バレンタインにチョコ」はなかなか日本社会に根づかなかったということだ。
「バレンタインにはチョコ」の定着
日本にバレンタインデーを定着させるのは無理なのではないかという雰囲気もあったが、風向きが変わったのは1970年代。ちょうど日本に資本主義が完全に浸透した時期だ。オイルショック後になんとか売上を伸ばそうとする小売業界の必死のアピールが功を奏し、「バレンタインにはチョコ」は小学生から高校生までの学生層から定着していった。
仕掛けていた側の小売業界はもともとは成人をターゲットとしており、子どもたち世代が流行の発端となったことは想定外のことであった。ただ、当時の成人層はまだ見合い結婚も多かったため、「愛の日」であるバレンタインデーの感覚がむしろ彼らよりも若い、自由恋愛に抵抗の少ない層に訴求したのは自然なことだったようにも思われる。
今となっては、関係各社がそれぞれに自社の歴史を誇張して「うちがバレンタインデーの元祖だ」とアピールして消費者を獲得しようとする様相があり、このあたりの経緯もなかなかに面白い。
欧米のバレンタインデーの歴史、由来、起源、本来の姿とは?
信じられている「聖バレンタイン」の言い伝え
欧米では、2月14日のバレンタインデー(St.Valentine’s Day)は、キリスト教の聖人である聖バレンタイン(聖バレンチノ、聖ワレンティヌス)が殉教した記念日とされている。
言い伝えの舞台は3世紀後半のローマ帝国。皇帝クラウディウス2世によるキリスト教迫害の時代である。
2月14、15日はローマ土着の神であるユーノー(結婚の女神)やマイア(豊穣の神)を崇拝する祭りの日だった。この期間は、普段は分かれて生活していたローマの若い男女がくじ引きによって出会ってもよいとされる、数少ない恋の機会であった。出会った若者たちの中には、そのまま結婚する者も多かった。
しかし、当時の皇帝クラウディウス2世は、結婚によって兵士たちの指揮が下がるとして、若者たちの結婚を禁止。これに悲しむ若者たちを見た聖ワレンティヌスは、皇帝に逆らって若者たちのための結婚式を執り行いつづけた。クラウディウス2世の怒りを買った聖ワレンティヌスは、まさにルペルカリア祭のその日に処刑され、ユーノーに捧げる生贄とされた。
ルペルカリア祭はキリスト教徒にとっては異教の祭りであったが、この日から2月14日は聖ワレンティヌスの殉教の記念日とされ、キリスト教徒の祭りとなっていった。
「聖バレンタイン」の実在性は微妙
記録によれば、言い伝えの舞台と同時代の2月14日にワレンティヌスという名の司祭が殉教したということは確かだが、それ以上の詳細を決定づける資料は残っていない。ワレンティヌスは現在のカトリック教会でも聖バレンチノとして聖人扱いではあるが、言い伝え通りのワレンティヌスが実在したという史実が見つからないため、第二バチカン公会議(1960年代)以降、2月14日はカトリックの正式な祝日からは削除された。
上に紹介した言い伝えに関して、「キリスト教は異教の祭りであるルペルカリア祭を排除したかったが、ただ禁止しても土着の人々の反発を招くだけと考え、なんとかキリスト教の聖人の殉教をこじつけてルペルカリア祭をキリスト教化しようとした」との説がある。
言い伝えにみられる、ルペルカリア祭についての「男女の出会いをくじ引きで決める」という描写も、ローマ土着の宗教が野蛮なものだという印象を与えるための創作であるとも言われている。
世界の祭りの不思議
キリスト教の布教戦略
キリスト教は世界への布教を試みる過程で、バレンタインデーにみられたのと同様の戦略を非常に多く打ち、そのどれもが成功してきた。こんにちキリスト教が世界の何分の一かの信者数を誇る世界宗教となりえている理由のひとつは、こうしたちょっと姑息ともいえる戦略にあるのだ。
西洋へのあこがれと入り交じる、チョコレートへのあこがれ
日本で「愛する人に贈るもの」としてチョコレートが選ばれた背景について憶測をめぐらせてみると、それが戦後の日本にとって「あこがれの西洋文化や贅沢品、最先端のお洒落な贈り物の象徴」の代表だったからなのではと思われる。
戦後、日本に入ってきた進駐軍が子どもたちにチョコレートを配ったというのは有名な話だ。そうしたものを原風景として育った人たちが、西洋の「愛の日」に何か贈ろうというときにチョコレートが頭に浮かんだのはごく自然なことなのではないだろうか。
花とカード、映画でロマンチックな一日を
欧米ではもともと、夫婦や恋人間で、愛の言葉を記したカードと花、相手の好きなものなどを贈り合って、家で静かに愛の絆を確認する日だったようだ。
(日本のチョコレートの贈答習慣が世界に逆輸入されていっている現象もあるようで、それも面白い)
今年のバレンタインには、「真実の愛」を花言葉に持つ赤いバラなど買って、しっぽりとロマンチックな映画でも見て過ごすなどいかが。
一生の恋をした人と一生愛し合うことについて ―映画「きみに読む物語」から