長い歴史の間脈々と受け継がれ、世界の広い地域で行われている有名な祭りの多くは、太陽の動き、それに対する人々の素朴な宗教心と関係しているように見える。調べたことをまとめておきたい。
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古代から太陽の動きに一喜一憂してきた人類
現代のような宗教体系が誕生する前の太古、人類が持っていた宗教的世界観は、非常に素朴な自然崇拝や汎神論に基づくものだった。食べるものにも着るものにも事欠きがちな太古の生活において、人々が太陽の一挙一投足に対し並々ならぬ興味と情熱を持ったであろうことは簡単に想像できる。太陽ひとつに自分たちの生死やQOLが大きく左右されたからだ。
科学の存在しなかった当時、人々がままならぬ現状をどうにかするのに使うことのできた方法は、ほぼ祭祀のみであった。現代の世界まで脈々と受け継がれてきた大きな祭りを見ると、それらの多くが大きな節気区分におおかた沿うようにして分布しているように見えてくる。
冬至(12月後半)周辺の祭り
冬至は世界が最も長く深い暗闇に包まれる極日であると同時に、これから世界に光が蘇ってくる、希望の日でもある。特に北方の諸国では、冬至はとても大きなイベントであった。
世界の例)聖ルチア祭、クリスマスなど
立春(2月頭)周辺の祭り
日本でいえば三寒四温のような時期で、すぐそこに迫った温かな春への期待感、生命の豊穣への感謝が伝わってくるような華やかな祭りが多い。
世界の例)インボルグ、聖燭祭、カーニバル(謝肉祭)
日本の例)節分
春分(3月後半)周辺の祭り
春分は春が極まってくる頃で、ここを少し過ぎるともう初夏に片足を突っ込んでいく感じだ。年の最初の収穫がなされる頃でもあり、幸福感たっぷりの祭りが多い。
世界の例)過越祭、復活祭、ヴァルプルギスの夜
日本の例)春彼岸
立夏(5月前半)周辺の祭り
雰囲気的には春分の頃と似たような感じの祭りが多い。
世界の例)ヨーロッパの五月祭、シャブオット
夏至(6月後半)周辺の祭り
もっとも太陽が長くまぶしく輝く頃。太陽や自然の大いなる生命エネルギーにあやかるような明るい祭りが多い。
世界の例)ヨーロッパの夏至祭
立秋(8月前半)周辺の祭り
ヨーロッパでは気候がマイルドな時期であるためか、ヨーロッパであまり目立つような祭りはない。ただ、日本ではお盆がある。
秋分(9月後半)周辺の祭り
立秋と同じくヨーロッパでは気候がマイルドな時期であるためか、世界的にあまり目立つような祭りはない。ただ、日本では秋彼岸がある。
立冬(11月前半)周辺の祭り
秋の収穫への感謝と、来たる冬への準備や覚悟をする時期。気候の寒冷な地域も多いヨーロッパ起源の祭りでは、暖季と寒季の境目として日本のお盆のような「この世ならざる者との交流」を物語る祭りも多い。
世界の例)サウィン祭、ハロウィン、死者の日、収穫祭
現代に残っている祭りのそれぞれの司式を見つめるうちに、人類は太古から大きく変わったようでいて、実はまったく変わっていないのではないかという気持ちに襲われる。この世に生を受けた私たちはほとんどの場合、死ぬその瞬間まで死の恐怖や生活への脅威に対する不安にさいなまれる。その恐怖や不安を自覚していても、していなくてもだ。だから太古であろうが現代であろうが、きっと人は何かにすがらずには生きてはゆけない。
儀式の中で大いなる自然に働きかけるとき、私は祭祀空間を媒体として、太古の人々と時空を共有しているように感じることがある。私たちはいま・ここで、同じ太陽、同じ月、同じ空を見上げている。ああ、月が綺麗ですね。もちろん夏目漱石的な意味で。
キリスト教会の「うまい」布教戦略 ―シンクレティズム
現在、世界の広い地域で祝われている祭り・宗教行事のかなりの割合がキリスト教と関係のあるものだが、これはカトリック教会の長年にわたる非常に「うまい」布教戦略のおかげだ。
キリスト教会は世界の広い地域にキリスト教を布教していこうというときに、行く先々で土着の宗教の神々や宗教行事、慣習をどんどん取り込んでいった。ときには自然に、ときにはこじつけに近い形で。宗教の混交・習合のことをシンクレティズムというが、キリスト教会は意識的にこれを推進したように見える。
たとえば復活祭(イースター)は土着の春の収穫祭の風習をうまく取り込んでいる。聖ヨハネの祝日も、土着の夏至祭を取り込んでいる。ハロウィンは現在ではカトリック教会では公認していないものの、昔はカトリックの祝日である「諸聖人の日」とわざと混同させようとしていたという説がある。聖マルティヌスの日も、土着の秋の収穫と冬の始まりを記念する祭りの時期に行われる。
極めつけがクリスマス。イエスが誕生したのは現在では春から初夏だという説が有力だが、カトリックはもうずっと昔に、ヨーロッパの冬至祭の「光が生まれる日」というイメージに「世の光であるキリストが生まれた」というイメージをこじつけ、12月に祝うようになったのだ。クリスマスツリーもゲルマン人の樹木崇拝由来の風習で、そもそもはキリスト教とは関係がない。
私はカトリック教徒だが、こういう背景を知るたびに「カトリック、良くも悪くも本当にうまいし頑張ってきたよなあ」とニヤついてしまうのだ。
季節ごとの世界の祭り・宗教行事についてのウンチクをお届けします(たぶん)
今後、季節ごとの世界の祭り・宗教行事についてウンチクを語る記事を随時お届けしていく(たぶん)。乞うご期待。