きょう、死にたいあなたへ

この記事の所要時間: 1016
※あなたがもし子どもなら、こっち↓をよんでね。
きょう、死にたい子へごめんね、おばさんには、あなたがどうして死にたいのか、ちゃんとわかってあげることはできないかもしれません。でもね、おばさ...

「死にたい」と検索してここに来てくださったあなたへ。

まずは、あなたが死んでしまう前にこの記事を訪れてくださったことに深く感謝します。

ここに来てくださったあなたにお願いがあります。

私のために時間と心を割いて、私がこれから書くことを読んでくださいませんか?

ほんのちょっとでいいのです。10分もかからないかもしれません。

私もずっと死にたかった

私も長いこと自殺願望を抱きながら生きていました。思い起こせば小学校時代から。死なずに生き延びたのが不思議なぐらいです。

当時の私にとって、生きることは私にとってあまりに辛かった。

この世に私の理解者は見当たらず、将来を見通そうにも明るい兆しなど見えませんでした。私は日常的に「死にたい」と思ったり、自殺の方法を考えたりしていました。

あるページとの出会い

そんなおり、硫化水素自殺というのが流行りました。ネット検索をもとに推測するに、2008~2009年ごろと思われます。

「きれいに楽に死ねるらしい」という噂も一緒に流れていたので、私は具体的な方法を調べようと思い、「硫化水素 自殺」で検索しました。そこで目に入ったのがこのページでした。

硫化水素自殺を考えているあなたへ

こんにちは。 このページに来てくださって、ありがとう。

「硫化水素」「自殺」のキーワードで検索すれば、たくさんのページがヒットすると思いますが、 ここへきてくださったこと、 本当にありがとう。

ほんのちょっと、ちょっとだけでも、このページを読んでもらえたらと思います。

ごめんなさい。あなたに何があったのか、私は知りません。「俺の辛さ、あたしの悲しさを知りもしないで」と、怒られるかもしれませんが、でも、あなたが死にたい、消えたいと思っていらっしゃるという、そのことは、わかりました。

あなたに何があったのか、今何を思っているのか、どうぞ誰かに、話してください。

思いを話さないままでは、終わりにできませんよね。

どうぞ話してください。

いのちの電話」も、ありますよね。

ご存知ですか。「自殺予防総合対策センター」っていいうのもあります。全国に相談窓口も、あります。

あなたは、ひとりぼっち、なのでしょうか。

こうして、あなたに向かって文章を書いているだけですけれども、何だか、あなたの押しつぶされそうな孤独感が、私の心にも伝わってくるような気がしています。

硫化水素自殺を考えているあなたへ(心理学総合案内こころの散歩道)

私は面食らいました。

誰からも面と向かって感謝されたことも、謝ってもらったこともない私に、突然に与えられた「本当にありがとう」、そして、「ごめんなさい」。

あまりにシンプルでまっすぐなその言葉は、私のいちばん深い芯の部分にすとーんと刺さりました。

本当にうっかりしていた、という感じでした。ふだんの私なら、「こんな私に誰かが礼なんて言うはずがない、謝罪なんてするはずがない」と跳ね返してしまうところなのですが、これらの言葉があまりにまっすぐだったために、抵抗する隙もありませんでした。

そこへ続く、「あなたが死にたい、消えたいと思っていらっしゃるという、そのことは、わかりました」「あなたの押しつぶされそうな孤独感が、私の心にも伝わってくるような気がしています」という言葉。

生まれて初めて、人に理解してもらえたと思いました。

私は一語一句漏らさぬ勢いでこれ以降の文言を読みました。

そのあいだじゅう、涸れたと思っていた涙が堰を切ったように流れ続けました。ひっきりなしにしゃくりあげましたが、生まれて初めて腹の底から呼吸できたように感じました。

命拾いをした

こうしてこの文章を書けていることからおわかりのように、結局、私は自殺するのをやめました。

この同じページが、あなたにも同じように届くとは思っていません。届いてあなたが自殺するのをやめたとして、その後あなたの傷が大きく癒されるだろうなどとも思っていません。

世の中のしくみがそんなに簡単だったら、死にたいと思う人も出ないだろうし、実際に自殺してしまう人も出ないでしょう。

生きるということはかくも苦しく、冷酷で理不尽です。その底を知っている私が、「いつかきっといいことあるから生きていようよ!」なんて綺麗事は、口が裂けても言えません。言いたくもありません。

当時の私にこんなことを言う人がいたら、私はもっと世の中への怒りと絶望を深くし、ことさらに首を縄の中に通すのを急いだでしょう。

でも、たまたま私に届いたこのページの言葉のことを、私はどうしてもあなたにお伝えしたかったのです。たとえ人生の最後になるにしろ、こういう言葉は聞いて損するものでもないはずだと、私は思うから。

「しばらくすれば落ち着きますよ」

昔、信頼するかかりつけの精神科医にちょっと絡んだことがあります。

最近こうこうで、もう嫌です、とか泣きながら愚痴ったのがきっかけだったかな。そうしたら、先生はこう言いました。

「しばらくすれば落ち着きますよ」

私はここで食い下がりました。どうせ世の中の他の人間と同じようにテキトーに言ってるに違いない。突っ込んだらウヤムヤにごまかすか、キレるかのどっちかだろう、と斜に構えて、こう言ったのです。

「しばらくってどれくらいですか?」

そうしたら先生はこう答えました。

「うーん、そうですねえ… 3日か、3週間か… じゃなかったら3ヶ月ぐらいですかねえ?」

具体的な答えが返ってくるなんて予想していなかったので、私は虚を突かれてしまい、妙に納得しました。

そうか、3日か3週間か、長くても3ヶ月耐えれば、これは終わるんだ。死ぬまで続くんじゃないんだ。よかった…

この先生がくれたのは、「私はあなたの疑問にちゃんと向き合いますよ」という真摯で誠実な態度、そして、「耐え難い苦しみもいつか終わる(苦しみ自体は変わらなくてもなんとか耐えられるようになる瞬間が来ることがあるから絶望するな)」という教訓でした。

苦しみには波がある

森田療法の森田正馬によれば、うつや神経症などの心の病というのは、「時間の病」なのだそうです。

時間というのは本来勝手に自然に「流れる」ものなのに、それが自らの意志で「流す」ものになってしまう苦しみ。時間の瞬間瞬間が、いちいち「わたし」に詰め寄ってくる暴力になる。

耐えがたい不安や苦しみが未来永劫続くように思えて絶望してしまうのは、このためではないかと私は思っています。

苦しみは未来永劫続くのではなくて時間の経過で変わっていくものだというのは、上に紹介したページの碓井(うすい)先生も書いていらっしゃいます。

日本でも毎年、何十万人、何百万人の人が、 自殺を本気で考えます。

しかし、それでも、そのうちの多くの人々が、何とか、 実行することを免れて生きています。

一番苦しいときを、なんとか、ごまかしでも、小さな理由でもいいから、 とにかく、通り過ぎることができれば、そのあとに、 不思議なことに、生きる気力が、生きるエネルギーが、自然に復活してくるのです。

自殺未遂者が、毎年30万人いますけれども、 そのうちの多くが、後に、自殺を考えなくなり、 寿命をまっとうするまで生きています。

自殺を止められた人は、そのときは、死にたかったと思っても、 後になれば、あのとき死ななくて良かったと思っています。

死ぬことはいつでもできますが、死んでしまったら、 取り返しがつきません。やり直しができません。

だから私は、死を考えている人たちに、 結論を早く出さないでと、訴えているのです。

何とか、今日、生きていこう。 明日の朝を迎えようと。

うつの問題も、感情には波があるもので、 今は落ち込んでいても、いつか必ず、また心地よい感情がやってきます。

うつの時には、死ぬしかないと思っていた人が、 あとになれば、 あのときの自分は、なんて恐ろしいことを考えていたのだろう、 あのとき、死なないで良かったと、語っています。

うつの時には、退職や、離婚や、退学などという 人生の重大事を決定するには、状態がふさわしくありません。

重大な決定は、うつが回復してから、 ゆっくり冷静に考えても遅くありません。 こういうことは後になってからでもできるからです。

自分の生き死にに関することなどは、なおさら、もちろんのことです。

70、80まで生きることは、なかなか想像しにくいかもしれませんが、 ともかく、今日、生きていくことを考えて欲しい、というのが、 私の願いです。

どうして生きることを勧めるのですか (メールに答えて)(心理学総合案内こころの散歩道) 

心にはよかれあしかれ波があるのです。

私のかかりつけの精神科医の言い分と碓井先生の言い分をひっつけて言ってしまえば、「死ぬしかないというような感情の波も、3日か3週間か3ヶ月で落ち着く」ということ。

死にたい100%の感情も、3日か3週間か3ヶ月をなんとか乗り切れば、100%じゃなくなるのです。

だから、そういう気まぐれな感情に左右されてうっかり死んでしまっては「もったいない」「せっかくここまで耐えてきたのに損」と、私は思います。あくまで私は、ですよ。

「心理学総合案内 こころの散歩道」の碓井先生について

碓井先生はクリスチャンです。彼の書く記事を読んでいると、ところどころで「神さまがあなたを愛しているから(生きてほしい)」というような記述が出てきます。

これは、クリスチャンでない人にとっては逆に反感や苦しみを呼ぶものになりうると私は思っています。さまざまな理由で神を信じられない人に「神さまがあなたを愛している」なんて言ってもほとんど意味がないと思います。

なぜって、こういう言葉に救われる人は、既に宗教的になんらかの存在に救われている人だという感じがするからです。私自身、当時はここにだけは反感を覚えていました。

唯一この点を除けば、私には碓井先生の言葉はかけがえのない助けとなってくれました。

碓井先生の「心理学総合案内 こころの散歩道/自殺の心理学」には、上に紹介したほかにも素晴らしい言葉がたくさん詰まっています。あなたにもぜひあちこち読んでいただきたいです。 本も出ていますよ。

さいごに

死んでしまいたいほど苦しいときなのに、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。ネット上の見知らぬ相手の語りのために時間と心を割いてくださり、感謝します。

あなたは、こんな大変なときにも人からのお願いをつい聞いてしまうような、とても優しい人なのですね。あなたについて、いろんな人がいろんな好き勝手なことを言うかもしれませんが、私は、あなたを優しい人だと思います。

あなたはこの理不尽で苦しみに満ちた人生に耐え続けてきました。それだけで私はあなたに尊敬の念と拍手を贈りたいと思います。あなたは誇り高い、立派なサバイバーであり、人生の戦いを知る強靭な戦士です。

これから幸運にも長く続くにしろ、不運にも短く終わってしまうにしろ、あなたの人生が少しでもあなたらしく、素晴らしいものになるように祈っています。

そしてもしできることなら… これからも長きにわたりその優しく誠実な心で、私の書いてゆく記事を通して私と感応しあってくださるよう、お願い申し上げます。

私に文章を書かせてくれるのは、ほかでもないあなたのその魂なのです。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2016 Yoshiko Soraki
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