アサーションに必要なもの ―「あたしこのパイ嫌いなのよね」ではダメな理由

この記事の所要時間: 758

アサーションとは、他者を攻撃するでもなく自分を抑圧するでもなく、他者をも自分をも過不足なく尊重しながら行なう自己主張のこと。魔女宅の「あたしこのパイ嫌いなのよね」をきっかけに行なった、アサーションに必要な要素についての考察。

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アサーションとは

Weblioにわかりやすい説明があったので引用しておきたい。

アサーションとは適切に自己主張をするためのコミュニケーションスキルである。
アサーションは1950年代にアメリカで、自己主張を苦手とする人を対象としたカウンセリング手法として生まれた。
アサーションを習得することによって、相手に不快な思いをさせずに、自身の主張を行うことができる。

アサーションの理論では、コミュニケーションを以下3つタイプに大別できるとされている。

・アクティブ(攻撃的)・・・自分を中心に考え、自身の考えを主張する
・ノンアサーティブ(非主張的)・・・自身の意見を押し殺し、他に合わせる
・アサーティブ・・・相手の主張を尊重しつつも、自身の主張を発する

<各コミュニケーションタイプの例(遊んでいる子供にお使いを頼む場合)>
アグレッシブ(攻撃的):「遊んでばかりいないで、手伝いなさい」
ノンアサーティブ(非主張的):「あのさ・・・楽しそうだからいいや」
アサーティブ:「まだ遊んでいたいと思うけど、私としてはお使いに行ってもらえるとうれしいな」

Weblio辞書

※【2016年5月1日訂正】
「アクティブ」は正しくは「アグレッシブ」。Weblioの表記が誤っている。

示唆的な夢

さいきんぼちぼち示唆的な夢を見るのだが、また大きなインスピレーションを得る夢を見て起きた。

私は小学生ぐらいになっていて、小学校のころのいじめっ子(Aちゃんとしよう)とバスかなにかに乗っている。遠足かなにかに行く様子だ。

※Aちゃんは1ブロック先ぐらいの近所に住んでいて、当時ピアノを習っていた。ちなみに彼女は、このページに書かれている、「義子ちゃんはみんなが知らないことを知っててみんなが知ってることを知らない」と鋭く私の本質を指摘した人物である。

夢の中でAちゃんは、私にお弁当かなにかの提供を申し出る。どうやら彼女の母親が私にも作ってくれたとかそういうことらしい。そのときすでにAちゃんにもその母親にもこんがらかった印象を抱いていた私は、そのお弁当を気持ちよく受け取る気になれなかった。

それでいてパッとその気持ちを子どもの自己分析力と語彙では説明ができなくて、私はもどかしい気持ちのまま、なぜだかよりによってこんなことを言ってしまった。

「いらない。私、ピアノやってる人の作ったお弁当は信用できないから」

Aちゃんはすごく傷ついた顔をして、わかった、じゃあいいよ無理して食べなくても、といってお弁当をひっこめた。

私はものすごく後悔して、それから頭の中で(うっすら目が覚めかかっているのか、頭の中はもう現在の私に近いものになっている)本当だったらどうすべきだったのか高速で考えた。

今のは自己分析もできていないし、攻撃的な自己表現だった。

きちんと今の語彙で自己分析のうえ、過不足なく心情吐露を試みてみるとこうだ。

私は、彼女の母親がどこか自己肯定できていない結果私たち家族の経済状況に過剰に敏感になっていて、こちらの始めたことを真似して始めてみたり、あることないこと自分の娘も含め周囲に吹聴してみたりしているらしいということを理解していた。
(私は空気が読めないくせになぜかこういう人の比較的長期にわたる心理的ストーリーの分析には長けているようなのだ)

そんなわけで、自分がAちゃんからいじめられているのはAちゃん自身の問題というよりも、ある意味Aちゃんも巻き込まれているのであって、被害者のひとりだということをもわかっていた。そうはいっても感情的には割りきれないものがあって、Aちゃんに対して快く接してあげられないことを申し訳なく思っていた。

しかも上記のこといっさいを、当のAちゃんに伝えていいものか私には判断ができなかった。プラス、いじめられてつらい気持ちをぶつける場がどこにもなくてつらかった。

私はきちんとアサーションのトレーニングを受けたことがあるわけではないので、ではこの過不足ない心情吐露をアサーションの形式に当てはめると実際どうなるのかは断定的には言えない。ただ少なくとも、夢の中でしてしまった失敗のような、本来せずに済んだはずの攻撃だけは行わないで済んだはずだ。あの一言は、Aちゃんひとりを傷つけるだけでなく、不用意にもピアノをやっている人全体を傷つけ、敵にまわし、自分の社会的評価を下げる問題発言であった。

魔女宅で「あたしこのパイ嫌いなのよね」と言った少女

上記の夢でお弁当がモチーフになったのには、その前の晩にTwitterのTLが魔女宅一色で、「ニシンのパイ」の話をしていたからに間違いないと思う。

子どものころはキキにだけ感情移入していたからあの子をイヤな子としか思えなかったけれど、大人の目線で見るといろいろな事情が見えてくる。あの老婦人は孫娘や娘(嫁?)とうまくいってないんだろうな、とか、そういうのが。

こんなツイートもあったのでお借りする。

そう、そうね。そのへんが彼女の心のうちなのだろう。

もう、彼女への視聴者からの攻撃っぷりといったらすごい。なんでも、TLでパッと流れ去っていってしまったツイートでチラッと見た限りなので定かではないのだけれど、「ジブリ映画で屈服させたい暴君キャラ」か何かで1位だそうだ。

あの子が、「あたしこのパイ嫌いなのよね」という攻撃的な表現ではなく、こういうあたりを上手にアサーションできていたらどうなっていただろう、と思いながら寝たから、上記のような夢を見たのだろう。

アサーションするために必要なもの

アサーションするために必要なものはおそらく、「過不足ない自他境界」だ。

攻撃的(アグレッシブ)でも非主張的(ノンアサーティブ)でもなく、ちょうどよくアサーティブであるためには、過不足なく、ちょうどぴったりに自他の境界線を引く必要がある。

ペイントでヘッタクソな図を描いてみたのでちょっと見てほしい。赤が攻撃的自他境界、青が非主張的自他境界、黒がアサーティブな自他境界だ。

self_border

アサーティブな自他境界は、比喩的にいえば「本人の身体の大きさとほぼ一致している」。だから、アサーティブな自他境界を持っている人同士は、互いに心理的にぶつからず快適に過ごすことができるというわけだ。

人間関係の中にひとりでも多く「アサーティブな自他境界」を持っている人がいれば、それ以外の人たちが事故的にゴッツンコしてきても、アサーティブなほうがアサーティブでないほうに対して「出っ張ってるとこがぶつかってますよ」「小さくなりすぎてますよ」と指摘してあげることができる。

しかし、集団の中にあまりにアサーティブでない人ばかりが多いと、アサーティブな人もさすがに疲弊してしまう。そして、すべてがアサーティブでない人たちばかりで構成されている集団は、事故が起こり放題の無法地帯になってしまう。

ここはぜひとも、ひとりでも多くの人がアサーティブな自他境界を身につけたほうがいいと思う。

アサーティブな自他境界のために必要なもの

ここまでくるともう私見でしかないのだけれど、おそらくは自己分析なのではないだろうか。

自他境界を見つける作業というのは、たとえば丸太の中から像を削り出すような作業だ。一流の彫刻家は、「丸太の中にはもともと完成した像が埋まっている。私はそれを発掘するだけだ」と言うそうだが、そういう感じだ。

とことん、ああでもないこうでもないとフィードバックをくりかえす。これが私か、これは私ではない、あれは私ではない、ならばここは少なくとも私なのかもしれない、と自問自答しながら削って削って削っていって、ようやく残った絶対に譲れない線みたいなものだけが「自分」なのかもしれない。

夢の中の私も、魔女宅のあの少女も、幼かったし、アサーションのトレーニングも受けていなかったために十分な自己分析ができていなかった。それで自我境界の設定の段階で混乱が起き、あのような失敗が起きてしまったのだろうと私は考える。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2016 Yoshiko Soraki
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