最近発達ナビやWelq関連の騒動の動きを見ていて考えたことをまとめた。
理屈っぽい宇樹もたくさん騙されてきた
理屈っぽいし、気になることはなんでも調べる宇樹も、生まれこのかた数え切れないほどの怪しい情報に騙されてきた。私が現在ニセ医学を批判しているのも、何を隠そう自分自身が一時期ひととおりハマって、幸運にもたまたま脱出できたからだ。
これらの過去記事を見てほしい。どれも非常にもっともらしい記事で、ずいぶんたくさん読んでもらっている。しかし、公開からしばらくたってから「その記事で宇樹さんが推してる医師や分析法は怪しいですよ」という情報をどこかから得たりして、あとからみっともない追記を入れている。
よりによって当ブログで上位に位置する人気記事ばかりだ。
多くの人はわかりやすい答えを求めがち
どうしたらニセ医学の被害を受ける人を減らせるかということを考えていて、常に最終的にぶつかるのは「人はわかりやすい答えを得て安心したい生き物らしい」という問題だ。
これは発達障害ライター仲間のくらげくんに指摘されて気づいたのだが、私は「曖昧なものをバシッと枠にはめるという権威に弱い」。タイプ診断とか、心理学のなになにモデルとか、そういうのに自分や周囲の人を当てはめて理解した気になり、安心するのが大好きなのだ。それは裏を返せば、「はっきりしない状況がとても不安だ」ということだ。
上に紹介した恥ずかしい過去記事たちも、どれもこの「人やものごとを枠にはめる」点で共通している。今のところ訂正は入れていないが、ひとつ前の記事もタイプ診断を激推しする記事内容で、私がどれだけ「枠にはめる」のが好きな人間かがよくわかる。
これは多かれ少なかれ世の中の人にもみられる傾向のようだ。「タイプ診断テストや自己診断チェックリストのようなものは流行る」ということは、ライターとしての感覚としても、誰か業界の人に言われたこととしても把握している。
多くの人は、はっきりした、わかりやすい答えが欲しいのである。だからなんとか診断とかなんとか分類とかに飛びつく。面白かった、役に立ったと言って拡散する。そして、そういった人々の欲求を狙って商売する人たちがいる。
不安で不確定な世界へ
残念ながら、人生にわかりやすい答えなんてないのだ。たぶん。
確実に断言できるのは、すべての人間は(少なくとも今のところは)いつか必ず死ぬということだけだ。この答えだって、これから医療が発展しまくれば、曖昧な表現で言わなければならなくなる可能性もある。
生きることは、かくも不安で恐怖に満ちている。ままならないことばかりだ。自分自身も、親も子どもも、配偶者も、友人知人も、上司や部下も、みんながままならず、皆が互いに迷惑をかけあい、頭を悩ませながら生きている。どうして私はこうじゃないんだろう、どうしてこの人はああじゃないんだろう…
究極に1ミリたりとも揺さぶられない安定を手に入れたいなら、死ぬか、「すべて思い込みでできている世界に行く」しかない。死んだら、思い込みだけの世界に生きるならもう、揺さぶられようにも揺さぶられる主体が存在しなくなる、あるいは、揺さぶる客体が存在しなくなる。
安定・安心したいあまりなぜか危険なところに、死のほうに死のほうに足を踏み入れてしまう傾向は、きっと誰にでもある。だから人は、自分をどれだけ賢いと思っている人でも、周囲から見てどれだけ賢いように見える人でも、すごくくだらないことで騙されたりするのだ。
もう、しょうがない。
騙されるのはしょうがない。騙されて恥ずかしいと感じる心のありようも、人間は弱いのだから仕方なかろう。ただし、まずは自分も騙されるかもしれないということを知っておくこと。もし騙された場合は、騙された事実を素直に認めること。
誰かは、何かにどっぷり騙されようが、基本的にはその人自身であって、私がその人を好きだったり愛しているなら、その愛情になんら変わりはない。基本的にはだけど。
だから、自分自身に対しても、周囲のいろんな人たちに対しても「恥ずかしくないから、いつでもテヘヘって言いながらその道を引き返して戻っておいで」と思ったりする。戻っておいで、この不安で不確定な世界へ。
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