ロマンスと結婚の永続的両立は可能なのか? ―「逃げ恥」をたたき台に

この記事の所要時間: 756

いまは恋愛結婚が大半の時代だが、いっぽうでロマンスを失い冷え切った結婚関係や離婚の話も多く聞く。ロマンスと結婚の永続的両立は可能なのだろうか? 2016年に爆発的な人気を得たドラマ「逃げ恥」をたたき台に考えてみたい。

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結婚にロマンスは邪魔か? ―恋愛結婚の時代に

結婚にロマンスは邪魔なのだろうか? 多くの人が恋愛結婚するいま、皮肉にも離婚や不倫、家庭内別居など、「冷え切った関係」になる夫婦のケースもあまた目にする。

「恋は盲目」

現代は大半の人が自分で決めた相手と結婚する。恋愛にしろ、お見合いにしろそうだ。政治的理由で周囲から強制されて許嫁と結婚、などというケースは、あるのかもしれないがあまり現実的な話のようには思えない。

結婚の最も大きな特徴というのは、私の考えでは「契約である」ということだ。二人の人間が双方の意思によって、条件をすりあわせて「ではこういう形で一緒にいましょう」とひとつの籍に入る。

ここで障害になってきうるのが、恋愛感情の存在だ。恋は盲目と言われるとおり、人というのは相手に強い好意を抱いているほど、相手のことを冷静な目で見ることができなくなってしまいがちだ。結婚は契約であり、永続のためには冷静で綿密な条件のすりあわせが必要なのに、相手に恋してしまうとそれが難しくなってくるというパラドックス。

このような観点から、以下のような実験をやった人がいた。恋愛感情に振り回されずに結婚相手を探したらどうなるか? というもの。

《緊急番外編》「結婚における実験報告」 | スイスイサクサク よむラジオ | note

結局、上記の実験では、マッチングを試した二人に微妙な条件部分で相容れないところがあり、結婚成立とはならなかった。しかし、「こういう結婚相手の探し方もあっていいし大事だよね」といった感じの結論になっていた。

近年、お見合い婚への人気が一部で復活している。恋愛結婚の次に位置する結婚のありかたを探る実験という感じで、非常に面白かった。

「逃げ恥」のケースにおける衝撃的実験

恋は結婚の邪魔になるのか?
もし恋と結婚の両立が可能ならどんな形で可能なのか?

全編にわたってこのテーマととことん向き合った、実験的かつ衝撃的なドラマが「逃げるは恥だが役に立つ(略称:逃げ恥)」だったのだと思う。

逃げ恥では、最初は契約結婚(ヒロインは仕事が欲しく、ヒーローは家事をやってくれる人が欲しかった。この両者の利害が一致して契約に至った)で始まった関係に恋が生まれる。すったもんだの末、双方が努力しながら「本当の結婚」に関係性を変化させていこうとするまでの課程を描いている。

逃げ恥についての詳しい説明については公式サイトに譲る。

火曜ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』

結婚は現実、ロマンスは夢

結婚とロマンスとの間には、どういった違いがあるのだろうか。

結婚は、基本的に死ぬまで続くこと前提のパートナーシップである。一般的な言い方で言い換えれば「現実」とか「日常」といった、安心ではあるがある意味地味で退屈なものだ。

ロマンスは、毎瞬間、互いが出会い共に在ることの奇跡を確認しあうことである。言い換えれば「夢」とか「祭り」、「儀式」といった、華やかで衝撃的だが毎日常に没頭すれば日常が立ち行かなくなる類のものだ。

どこかで、「恋愛は互いを見つめ合う行為、結婚は二人で同じ方向を見つめて進む行為」という表現を目にしたことがある。

結婚生活の永続が長い航行で比喩されるとしたら、結婚生活において恋愛ばかりに没頭していたら船は進まないし、うっかり船底に穴があいて沈没することもある、ということになる。正しく航行するには、進行方向をしっかり見つめたり、定期的に船底をチェックしたりする必要があるのだ。

結婚は永続的であり、ロマンスは刹那的である。恋愛結婚の中に悲劇が多く存在するのは、この二つが互いに相反した要素を持っているからなのかもしれない。

結婚は本当に「退屈きわまりない日常」か?

今さっきまで、結婚は退屈な日常であり、ロマンスは華やかな祭りである、ということを書いてきた。しかし、恋愛結婚時代に幸せな結婚を永続させる試みのために、少し問い返しをしてみたい。

結婚は本当に、「退屈きわまりない日常」なのか?
人間はいつか必ず死ぬし、その瞬間が5分後に訪れない保証はどこにもないのに?
人間はどこまでも自由で、究極的には5分後に今後二度と顔も見ない選択をすることも可能なのに?

こうした問いは詭弁の類なのかもしれない。けれど、考えてみたい。突き詰めて考えたときに、本当の意味で「退屈きわまりない日常」など、人生に存在するのだろうかと。

あるカップルが出会ったこと、そして今共にあるということは、それだけで奇跡のひとつに近いのではないか。だって、「私」がこの世に生まれ、いまも死なずに生かされていること自体が奇跡のひとつに近いのだから。

すべてはコール&レスポンス

ナチスの強制収容所で一時期を過ごし、生還したV・E・フランクルは、「それでも人生にイエスと言う」の中で、「人生はすべての瞬間瞬間のできごとに対する選択の積み重ねだ。人生は問うてくる。私たちはそれに応答する」というようなことを訴えている。

彼の考え方からすれば、人生のすべては「瞬間瞬間の問いに対する応答」なのだ。言い換えればこれは、「人生のすべては『刹那の問いと応答の積み重ね』だ」ということだ。

結婚は、人の人生にふりかかるできごとのひとつである。だとすると、結婚もやはり「刹那の問いと応答の積み重ね」だと言えるだろう。

「あなたは生きますか? はい、生きます。」
「あなたはこの人と一緒にいますか? はい、います。」

こうした刹那のコール&レスポンスを、人は生きている間常に繰り返していくのだ。

だから、ある意味では人生自体がロマンスであり、人生に起きることすべてがロマンスなのだ。ならば、結婚もロマンスである。

私はある人と「退屈きわまりない日常」を過ごしているようでいて、ロマンスの刹那を積み重ねているのだ。

宗教の信者が毎度、儀式の中で信仰対象への忠誠を誓うように、私はある人との日常に対し、無言のうちに、無意識のうちに、毎瞬間忠誠を誓いなおして生きている。

結婚とロマンスの両立が可能なケースもありうる

逃げ恥では最終的に、互いに日常的に細かい交渉を重ねる中で、互いの間のパートナーシップとロマンスを繊細にコントロールしながらやりくりする方法に落ち着いていった。

彼らの関係性のあり方はよく「合理的」と言われるが、実際には合理的でありながら同時に非常にロマンス的だ。それは互いに常に問い、応答することを積み重ねていっているからだ。

彼らのあり方は非常に極端で実験的なものだったが、大きな希望をくれた。それは、「結婚とロマンスの両立が可能なケースもありうる」というものである。

二人の間に最低限の条件面での一致があり、かつ、その結婚が強制されたものではなく、互いに選んだものならば、結婚とロマンスの永続的な両立はきっと可能だ。

そう、互いが互いを選んだのだ、ということを毎瞬間だいじにしていけば、きっと。逃げ恥でも、「私は今まで誰にも選ばれなかった。でもこの人が選んでくれた」といったような台詞が繰り返し出てくる。

夫婦を超えてゆけ、二人を超えてゆけ

「逃げ恥」エンディングテーマの歌詞

逃げ恥のエンディングテーマ、星野源の「恋」の末尾部分には、「夫婦を超えてゆけ、二人を超えてゆけ、一人を超えてゆけ」という歌詞がある。

この歌詞を聴いていて思い出す話を紹介して、記事の締めとしたい。

愛とは超・現実である

大学時代、シュルレアリスム(超現実主義)の授業を受けているときに、授業をサボりたかった悪友が突然ニヤニヤしながら、「先生!シュルレアリスムと愛の関係について教えてください!」と言い出した。

この適当に考えられたふざけた質問は、本当にたまたまだがシュルレアリスムの本質を突いていた。先生は前のめりになり、真顔でこう答えた。

「シュルレアリスムと愛、ですか。とてもいい質問ですね。シュルレアリスム、つまり超現実ですが、これと愛には密接な関係があるのです。というのは、愛も、現実でもなく非現実でもない、現実から半歩だけ踏み出したもの、いわば超現実に位置するものだからです」

現実から半歩だけ踏み出した超・現実、それが愛というわけだ。

つまり、逃げ恥のエンディングテーマでは、まさに愛そのものの特性について歌っていたと言える。

夫婦を超えていく。
二人を超えていく。
一人を超えていく。

夫婦でなくなるのでも、二人でなくなるのでも、一人でなくなるのでもなく、超えていく。それが私の目指したい、愛や結婚のありかただ。

※ちなみにこのときの授業は、先生が本気で1時間半まるまるシュルレアリスムと愛について語り尽くすことで潰れた 

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2017 Yoshiko Soraki
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