【コミュ障系発達障害者向け】TwitterをSST的情報源として使ってみよう

この記事の所要時間: 929
※SST=ソーシャル・スキル・トレーニング、社会生活技能訓練。クライエントのコミュニケーション技術を向上させることによってその社会生活上の困難を解決しようとする技法。
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ASD者の自閉傾向は文章にも現れる

昔からプライベート・仕事問わず、いろいろなメディアで文章を書いてきた。そんななか、数年前からネットのソーシャル化が加速した。

ソーシャル化したネット世界で発言していると、自分には思いもつかなかったマイナスの反応を受けることがときたまあって、私はそのたびに戸惑っていた。自分ではきっちり過不足なくわかりやすく情報を提供しているつもりなのに、なぜ誤読されたり、書いていないことを勝手に読み取ったりされるのだろう、と。この問題は自分の自閉傾向からくるものだろうと推測してはいたが、だったら何をどうしたらいいのかの代案がまったく見つからないのだった。

あなたはどうだろうか? 自分では十分気を遣っていたつもりなのになぜか相手を怒らせてしまったとか、悪気なく書いたことがなぜか否定的に受け止められて変に拡散され、たくさん批判的コメントが来たとか、書いた覚えのないことを書いたと批判されて驚いたということはないだろうか。これはけっこう、発達障害あるあるなのではないかと思う。

定型圏とASD圏では言葉の読み書きの方法が大きく違う

私の場合は最近、ただ戸惑っているわけにもいかないと決心し、ライティングに関する書籍を何冊か読んでみたりしたのだが、ここで大きなショックを受けた。生まれて初めて知ることばかりだったからだ。私が驚いたのはたとえばこんなことだ。

一般の読者は……

・「多数派が支持しているもの」に信頼と安心を覚え、追従したくなる

・文章を論理の流れでなく「雰囲気」で読む

・批判的な情報がまとめて書いてあると不快感を覚えることがある

・内容に「共感」しない限り、全文を順を追って読むことはない

「一般の読者」は、「定型圏の人」と読み替えていいと思うのだが、ともかく私はずっと、上記の真逆の方法で文章を読み書きしてきた。「そりゃあ、思ったような結果が出なかったとしても当然だ」と初めて納得した。やはり定型圏とASD圏では、文章の読み書きのしかたがまったく異なるのだ。

TwitterはASD圏の人間にとってSST的情報の宝庫

そうやって大きなカルチャーショックでくらくらしている頭のまま当ブログを開設し、ここへの動線のひとつとしても役立てばと思い、公式Twitterアカウントも作った。自分の認識が変わったからか、Twitterの世界が以前とは違ったものに見えるようになっていて、再び驚いた。

Twitterは私に、定型圏の人たちの生の文化の姿を克明に示してくれる、情報の宝庫だ。リアルの人間関係と違って、彼らに直接関わったりわざわざ失敗したりすることなしにいくらでも情報を追える、というところが特にありがたい。

リアルで生活しているだけでは、定型圏の人の認識方法なんて、SSTプログラムにでも通わない限り教えてもらえない。もし知れるとしたら、それはリアルの人間関係で失敗し、かつ運のいいときだけで、十分にいろいろ学べるころにはこちらは満身創痍になっているだろう。年老いるまでに学びきれるかも危うい。でもTwitterならそれが無傷でできるし、自分のコントロールでもってかなりの加速ができそうな気がする。

今までにTwitterで学んだ定型圏の人たちの感覚

私が今回作ったTwitterアカウントを通して学んだことを、引用をまじえながら紹介していきたい。

まず震えたのがこれだ。

思わず以下のように引用RTしたら、けっこうな数のRTとふぁぼ、同意リプライをいただいた。自閉圏の方がけっこう同じように震えてくださったのだと理解している。

私としては、「テレビが苦手」というのはただ純粋な情報であって、「(五感の過敏があって)テレビは苦手だから(できることなら見たいのに見れなくて)見ません(こういう人間もいるとわかってぇ~)」というどちらかというと苦しみの吐露&わずかにご理解を求めるお願いなのだけど、これを「私は高尚な人間なので低俗なテレビなどは見ませんことよ」と傲慢なイヤミを言ったようにとる人がいるらしいのだ。

どうりで、こう言ったときになんだか微妙な顔する人が多いと思った(私の場合、表情の読み取りは定型圏の人よりは苦手なんだろうが、相手がどうも微妙な反応をしているというぐらいのことはキャッチできる)。私けっこういっぱい言ったぞ、これが問題あるだなんて思わなかったから。定型圏の世界に生きるのって怖い、超怖いよ… と震えた。

私をさらに恐怖に陥れたまとめ

『勉強になります』と『うるせえ』の間の言葉って何かないものだろうか?→いろいろ考える人々 – Togetterまとめ http://togetter.com/li/864214

ふむふむと読んでいたら、こんなツイートがあった。

それで、私とTwitterで会話してるうちになぜか怒りだした人がいたのか… 定型圏の全員が全員そういう人ばかりじゃないのだろうが、ともかく、少なくとも「いまそこにある危機」程度の注意は払っておかないと危険だと思った。

私にとっては「勉強になります」って最高の褒め言葉だったので(自分が言われたらとても嬉しいから)、攻撃に類する意味でとる人がいるなんて本当に驚きだ。

…驚きだ、というこんな発言も、定型圏の人の一部からみたらイヤミに見えたりするのだろうか。私は純粋に驚いただけなのだけど。

これはさすがに私もイヤミの可能性を考える。だけど、「耳が痛い」だけ取り出した場合、私にとっては「あなたの言うことにはとても説得力があって、耳が痛くなるぐらい響いてきます」という褒め言葉だった。使うときは、あなた凄いです、しかと受け止めました、という謙虚な態度の表明として使っていた。でも、以前リアルでお叱りを受けたときに「本当に耳が痛いです」と言ったら相手がさらに怒りだしてしまったことがあって、長いこと謎だった。これでちょっと謎が解けた。

あれか? 凄いです、みたいな言い方も傲慢とかイヤミに聞こえる可能性あるのかな? じゃあ人を褒めたいときはどうすればいいのだろうか。謙遜しすぎたらしすぎたでまたイヤミに聞こえるみたいだし、もうわしにはわけがわからぬ。なにかいい案ある人はリプライください。

定型イック・コレクトネスな世間

もうなんていうか、ポリティカル・コレクトネスならぬ、定型イック・コレクトネスみたいなアレなんじゃないか。定型圏の人はこんな世界で察しあいまくって生きていて本当に平気なんだろうか。

そんなところへこんな記事が流れてきて、私はさらに納得した。

ビジネスマナーが最優先される日本企業には「ねたみ」「ひがみ」の感情が満ち溢れている http://blogos.com/article/129298/

いや、納得したというか覚悟した。私は、人の言葉にわざわざ言外の意味を読み取って妬んだりひがんだりする態度ってよくないと思うし、どうも定型圏の人でもこれをしんどいと思う人がいるらしいともわかった。しかし、それでも現在のところ世間がそういうルールで回っていて、数の問題上こちらが適応しなければならない立場にあるのなら、こちら側から積極的に推進するまではしないものの、せめて自衛策として常に頭に入れておくしかない。リアルでそれほど親しくない定型圏の人と接するときには本当に気をつけようと思った。

こんなのもある。

RTして以下のようにコメントしたら、これもけっこう支持された様子。

こんなふうに、TwitterはほんとうにSST的な意味で役に立つ情報の宝庫なのだ。こちらがそのつもりでアンテナ張ってさえいれば、という条件つきだけれど。

発達障害者の支援は傾聴ではダメ、定型圏文化についての情報提供が不可欠

こんなやりとりもあった。この方はASD界隈では当事者の発信者・ピア支援者として何年も前から有名。

ASD圏の支援では、「うんうん忌避されてつらいね」って傾聴・共感してるだけでは誤学習を予防できないばかりか助長してしまう場合がある。少なくとも私の場合、「ここは違いますよ、定型圏ではこういうルールがありますよ」って過不足なく教えてもらえるだけでとても助かる。そしてTwitterは、わざわざプログラムに足を運ばなくてもそういう役割をしてくれるのだ。

Twitterなら外出が困難でもSST的学びの機会が得られる

Twitterであれリアルであれ、コミュニケーションに失敗しがちで困っている人にはぜひ、「定型圏の人のルールがどう運用されているのかを知ってみよう」という目でTwitterの情報を眺めてみてほしい。きっとたくさんカルチャーショックがあると思う。どんな山奥に住んでいたとしても、疲れや対人不安などで外出や発話が難しくても、ネットに繋ぐことのできる環境さえあればほぼ平等な学ぶ機会が用意されているところが、Twitterを情報源にする最大のメリットだ。

【追記:2015年8月25日夕方】 定型圏文化に巻き込まれすぎないで

書き忘れていて、読者の方からご指摘もあったので追記(ご指摘に感謝します)。

この記事はTwitterを使って定型圏の文化を「(純粋に情報として)知る」ことをすすめるものであって、定型圏文化にやみくもに「従う」ことをすすめるものではない。

ここは機会があればまた別記事に書くつもりだが、定型圏文化の中には、自他の境界の曖昧な、神経症的傾向のある慣習も紛れ込んでいる。定型圏の人でさえこのせいで心を病んでいったりしているのだから、もともと真面目で神経質すぎるきらいのある人もいるASD圏の人間が、やみくもにこれを内面化したり、どこまでも追従しようとするのは危険だ。どこかではっきりと線を引き、自分なりのルールやポリシーを立てて、巻き込まれすぎないようにしてほしい。

同じ「聞く」にもlisten(耳でよく聞く)とobey(従う)がある。私がすすめているのは前者のlistenのみである。

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