高貴なる者の義務

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なんと、しばらくの間、実家に帰っていた。

私が実家から現在のオットのところに出奔して以降、電話を何度かけても出てくれなかった父から、ある日の昼間、突然電話がかかったのだ。お母さんが入院した。僕も参っている。いつ誰がどうなるかわからないから一度帰ってこい、と。

6年半の断絶だった。突然電話をかけてきて、「いま大丈夫?」と。

「だ、大丈夫だよ?」と即答した。永遠の片思いだった父親から6年半ぶりに連絡がきたなんていうこと以上に優先すべきことなど、この世にあるわけがなかろう。

詳細はあえて省くが、心身の死が間近に迫った母を目の当たりにしたのは本当にショックだった。彼女を毎日世話している父が参るのもよくわかった。大きな苦しみと長い断絶を経てではあるが、私と父はようやく理解しあうことができたような気がする。

苦しみや断絶など、経験しないで済むならしないほうがいいに決まっている。でもともかく結果的に、精神的にうまくつながることのできていなかった親子がつながることができたのだから、これほどの恵みはない。

二度と触れることができないと思っていた、私の小さな頃の思い出山のような8ミリビデオ、写真類。それらを満面の笑みで見入る父。そういったものを、いまの私の目で見た。彼ら両親の当時の年齢を考えてみて、今の私よりも若かったことに思いを馳せたりもした。

そして思ったのは、私は本当に愛されていたのだということ。

すべての人間は弱くてみっともなく、不完全で、いろいろなことを間違う。それは私の両親だって同じだ。けれど彼らはそんななかで、当時の彼らの最大限を、ベストを尽くし続けてくれた。

彼らが私のためにしてきてくれたことがどれだけ大変で、偉大なことであったか。必死に自分なりの生活を築こうとしつつも「次世代に何が残せるか」などということを考える世代になった私は、今初めてそれを心で理解した。

一時は「母を殺し、家に火を放ち、自分も死のう」などとまで思い詰めるほどつらかったけれど、私がこのように苦しんだのは彼らだけの責任ではない。私だって未熟で不完全だった。私たちを囲んでいた周囲の人たちも含め、皆が時代の被害者という面だってとても大きいし、運命だって私たちを残酷なほど司っている。言ってみれば、みんなが全部悪いし、同時にみんなが何も悪くないのだ。

2歳ぐらいの私、5歳ぐらいの兄、30すぎの父と母がみな、赤いものを揃って着て、楽しそうに写っている写真の一群がある。ペアルックならぬファミリールックだ。

その中の1枚、若く有能そうでたくましい父は、大きな手のひらの上に小さな私をヒョイと座らせて、片手で軽々と持ち上げている。私は彼のせいで、いまだに身体が大きくて丈夫な男性が好みなのだ。

私はぷくぷくでキョトンとしていて、このうえなく可愛らしい。はっきりと面影があるのがなんとも嬉しい。

母も若く美しく知的で、柔和な笑顔でいっぱいだ。小さな頃の私は心の中で彼女のことがちょっと自慢だった。

兄も屈託なく活発で、愛らしい。運動神経抜群で人当たりがよく、なんにでも気の回る兄は、私の憧れだった。

私は生まれて初めて心の底から、私はこの家族の子どもとして生まれて幸せだったと思った。私の人生のミッションは、自分にこのようにふんだんに与えられたものを混じりっけなしの喜びで受け取り、味わい尽くし、そして、なんらかの形で世の中に還していくことである。

Noblesse Oblige、高貴なる者の義務。父の好きな言葉だ。直訳は、「高貴さは義務を強制する」。私もようやくこれから、この義務を喜んで負ってゆきたいと思う。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2017 Yoshiko Soraki
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