Welqの増長を許したのは「まともな受け皿」の不足かもしれない

この記事の所要時間: 929

私の観測範囲内にすぎない話なのだが、DeNA系メディアや(低品質な)キュレーションメディアを批判する層と、ニセ医学を批判する層はどうも被っているように見える。個人的には、DeNA系メディアとニセ医学に共通する構造的問題点があって、そこに彼らのモラルセンサーが反応したのではないかと感じた。そこから考えたことをまとめておきたい。

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Welqの問題点

Welqの運営手法がモラルに欠けていたということは、この短い間にすでに言い尽くされた感がある。医療・健康情報を提供するメディアを、ビジネスとして利益を得るためのひとつの「オイシイ」手段として十分な自省・自制なしに拡大させ続けたDeNAには多くの批判が集まっている。

Welqは著作権法の網も、Googleのルールも非常に賢くかいくぐりながら、人を煽り耳目を集める医療・健康情報を扱うことで、Google検索結果の上位を占拠するまでになった。ここまではある種の経営手腕が成し遂げた業だ。しかし、彼らにはモラルや長期的大局的視野が欠けていた。

モラルについて

モラルというのは日本語で倫理のことだ。

デジタル大辞泉の解説
りん‐り【倫理】
1 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「―にもとる行為」「―観」「政治―」
2 「倫理学」の略。
倫理(リンリ)とは – コトバンク

法により禁止されたり罰を与えられたりはしないものの、「人として守るべき道理」がモラルだといえる。

Welqは最近まで法の網をうまくかいくぐってきた(現在では医薬品医療機器法違反の疑いがかけられているが)。しかし、彼らはモラルを守れなかったので社会に広く悪影響を残し、批判を受け、結果、駆逐されることになった。

発信時に現行法に違反しているのでなければ、確かに発信者が法的な罰を受けることはない。しかし、法やルールそれ自体も案外相対的なもので、時代・ケースごとの解釈によっても、改正によってもいくらでも変わる。そもそも法とは、人が社会生活を営むうえで互いを尊重するために自然と生まれたモラルが煮詰められ、日干しにされてできたようなものだ。法はモラルの日干しにすぎない。

だからWelqは、常に「私たちは今、誰かの何かを損なってはいないか」という生きたモラルの視点を持っていなければいけなかったのだ。誰かの発信のまわりには、常に生身の人間がいる。目の前、発信が届いた先、元情報の発信元。最も大事なのは法などではない。生きた人間の命や権利だ。法は、人間の命や権利をよりよく守るために便宜的に存在しているにすぎない。

モラルの日干しにあぐらをかいていては、そのうち生きたモラルからのしっぺ返しがくる。今回のように。

長期的大局的視野について

長期的大局的視野を持つというのは、目先の自らの損益のみでなく、社会全体の今後にとっての損益を考えるということだ。「長期的」と「大局的」は意味がよく似ているが、「長期的」には時間的なスパンの広がり、「大局的」には視野的な広がりを込めてこの言葉にした。

社会全体に対しての益は、成すのに時間も手間もかかる。これに手をつけようとする者は、短期的部分的にいえば「損」をかぶらなければならない場合も多い。だからこうしたことは民間がビジネスでやっても成功しづらいし、長続きしない。成功したケースはたいてい何か生臭くなり、社会の益よりもビジネスの様相が強くなりがちだ。福祉ビジネスの範疇で起きているあれこれを思い浮かべればわかるだろう。

ちなみに、福祉の意味は以下のとおりだ。

大辞林 第三版の解説
ふくし【福祉】
〔「し」は「祉ち」の慣用音。「祉」は幸福の意〕
幸福。特に、社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福。 「公共の-」 「社会-」 「 -事業」
福祉(フクシ)とは – コトバンク

医療・健康の範疇のことは人の命や幸福を大きく左右するので、医療・健康情報を提供する活動は福祉に大きく食い込んだ分野だといえるだろう。そして、福祉はやはり国が予算を背負い、国民に平等にまともなものを提供すべき分野であって、ビジネスの観点のみで安易に手出しすべき分野ではない。

医療・健康情報メディアはいち民間企業がビジネスとして簡単に手を出していい分野ではなかったのだ。もし手を出すなら、非常に高いモラル、福祉的視点でもって運用されるべきだった。

Welq的メディアはなぜ増長したのか

Welq的なメディアはなぜ増長してしまったのだろうか。そのできるだけ根本を探ってみたい。

わかりやすくアクセスしやすい医療・健康情報への高い需要

医療や健康に関するわかりやすい情報への需要は非常に高い。自分や大事な人が健康を損なったり障害を負ったりすれば、誰しも不安になって「安心させてくれるまともそうな情報」を求めがちになるだろう。

24時間いつでも、家にいながらにしても、検索バーにキーワードを打ち込むだけで情報が入ってきて、安心させてくれ、役に立ってくれる… そんな環境を多くの人が求めるのだ。

「わかりやすくアクセスしやすいWebコンテンツ」の大半には裏がある

ここで気をつけなければいけないのが、「わかりやすくアクセスしやすいWebコンテンツ」にはお金がかかっている、ということだ。

読みやすく、信頼度の高そうなデザインやレイアウト。親しみの持てるロゴやキャラクター。理解しやすいテキスト。そういったものを用意するには人件費がかかる。

では、その人件費はどこから捻出されるのか。民間企業の場合、大半は「ビジネス」からである。コンテンツにさりげなく広告を埋め込んでおたくの商品を売ります。うちへのアクセスからおたくの商品広告へのアクセスを分けてさしあげます。だからその分お金をくださいね、などなど。

うまいところでは国などから助成金をもらったりする。助成金だけで運営しているならビジネスから自由でいられるが、もっと売上を上げたいと思うと、発信する情報がビジネスに左右されるようになる。

こうなってくると、実質的にはこうしたWebコンテンツの中身は「広告文の集合」となる。

このあたりの例として思い浮かんだDeNAとは別の某企業の名前があるが、ここでは伏せる。

ビジネスに傾きすぎたメディアとニセ医学は相性がいい

広告文は、公正中立で正確とはいかない。読者をどうにかして、推しの商品を買うように誘導するのが広告だからだ。えげつないものだと、不安や自己否定感を煽って、これを買えばそれが解消されるという気にさせる。良い点を大きくふくらませて表現する。ほかを否定することでこちらを選ばせる。都合の悪い点はできるだけ隠す。これを医療・健康系のカテゴリで実行すればどうなるか。そう、ニセ医学情報そのものとなる。

そもそもニセ医学理論自体、多くは提唱者がなんらかの利(金銭、名声、服従など)を得るために生まれた「広告文」だと私は考えている。ビジネスに傾きすぎたメディアとニセ医学情報は、ビジネス同士相性が良すぎるのだ。

参考のため以下に、私の作成した「ニセ医学の4つの特徴」についての画像を貼っておく。

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詳細はこちらの記事で。

【画像・PDF】ニセ医学の4つの特徴と、だまされないための対策【配布可】
ニセ医学の4つの特徴と、だまされないための対策について、パッと見てわかる一枚画像・PDFにまとめました。条件つきで配布可です。当記事をよく読...

ビジネスに偏りすぎたメディアが見ているのは、読者の利ではない。自分たちの利だ。こうしてモラルが欠如し、読者や消費者、病人や障害者・その家族などが搾取されていく。

福祉と同じで、医学もマジメにやるほど儲かりにくい。

この絡みでちょっと思い出したことがあるので言っておく。decinormal読者諸氏には、「患者の利でなく自らの利を見て『ビジネス』をやっている医師は、明らかにトンデモなU医師やその周辺 “以外” にもいてもおかしくない」という目で、常に疑いの目を持って情報を精査してもらいたい。

【仮説】需要への「まともな受け皿」が不十分だった?

さて、こうした、ビジネスに傾きすぎた医療・健康情報が社会を席巻してしまうに至った根本原因は何なのだろうか。

ここからは仮説だが、「わかりやすくアクセスしやすい医療・健康情報」への高い需要に対する「まともな受け皿」が不十分だったせいではないかと、私は考えている。

そもそもは医療の現場で、患者のニーズ(もっとゆっくり話を聞いてほしい、わかりやすく教えてほしい、不安を解消してほしいなど)が十分には満たされていなかったのが始まりだったのではないか。

限られた人員でできるだけ多くの患者をさばかなければならない医療の現場では、患者の精神的ケアや、専門知識を患者にわかりやすく噛み砕いて伝える「通訳」まで十分な手が回っていなかったし、今も回っていないのだと思う。手を回すだけのリソースが足りないのだ。

政治の問題である可能性

医師は何をやっているのか、と医師を責めるのは簡単だが、これはもっと奥の深い問題で、どちらかというと政治の問題だと考えている。

医師は医療の専門家だが、基本的には傾聴の専門家ではないし、池上彰的な説明能力も持っていない。また、精神科医や心療内科医を除いて、患者の精神的ケアについては多くが本来専門外だ(本当にいい医師は全てを兼ね備えているしそうあるべきだとは思うが)。だいたい、精神科医や心療内科医にだって正直、医療知識があるだけの冷たい医師やモラハラ的な医師もいる。それに、そもそも圧倒的に医師の全体数が足りない。

足りない部分を、古くは看護師や薬剤師、最近はソーシャルワーカーやカウンセラーなども加わってカバーしようとしてきたが、それでもカバーしきれていないのだと思う。それでできた患者や一般国民の心の隙に、民間企業が発信する、不公正・非中立・不正確な医療・健康情報がピッタリとはまりこんでしまった。こういうことなのではないか。

発達障害児の保護者たちが次々にニセ医学に取り込まれていく現状は、診断後の彼らを受け入れる「まともな受け皿」が不十分だからではないかということは、当事者たちから繰り返し指摘されている。それと同じ話だと思う。

参考記事はこちら。

「子どもが発達障害の診断を受けた。どうしよう!」 不安なあなたへ
子どもが発達障害の診断を受けて、どうしよう! と不安な保護者のあなたへ。発達障害とは何か、保護者としてまず何をすればいいのか、あなたとお子さ...

国に対処してほしい

もはや、国側が乗り出すべきときだと思う。日本の医療や医療リテラシーの現状に対し、国が政治の圧倒的な力で切り込んで、システムを大きく変えるべきときだと。

国が予算を調達し、公正・中立・正確な医療・健康情報を「わかりやすくアクセスしやすい」形で提供する。医療・健康について不安を抱えている国民の精神的ケアも十分に担う。

医療現場の人員を、時間をかけて育成し増やしていく。現場での医師と他のケア要員との連携を強める。そして、例えば厚労省発表の読みづらい資料を、さらに手間をかけて、たとえばWelqのようなメディアを寄せ付けないほどわかりやすくアクセスしやすい形に仕上げて発信する。

…と、こんなことを夢想しているのだけれど、私は経済にも政治にも強くない。きっとこれは世間知らずの理想論、夢物語にすぎないのだろう。

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2016 Yoshiko Soraki
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